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2014.03.27

情熱の革命児 1 (ベトナム日系企業視察の旅 )

 
はい、行ってきました。

今年一発目はベトナムです!
今回も現地の日系企業様に色々と工場を見せていただきました。
訪問企業様は以下のとおり

・㈱フジキン 様
・KYB㈱ 様
・ペガサスミシン製造㈱ 様
・タカラベルモント㈱ 様
・㈱ミツバ 様
・タイガー魔法瓶㈱ 様
・エースコック㈱ 様    ――訪問順


今回は割りピンに関わりのある企業様はあまり無かったのですが、私個人的な理由で言いますと、ちょうど3年前、初ベトナムを経験した折に目の当たりにしたベトナムのバイク・自動車事情が今現在どのように『進化』したのかをこの目で見たかったというのが一番の理由であります。
さすがに3年ほどでは劇的な変化は見られませんでしたが、バイクの種類が多少変わっていたり、自動車の量が増えていたりと、発展途上の加速がそこかしこに見受けられました。
今回は、前回3年前に行った際のレポートよりもう少し細かいことを、もう少し掘り下げた内容でお届けしたいと思います。
その前にベトナムのこと、ベトナム人のことにも触れておきましょう。
 



時差は日本より-2時間。
飛行機は5時間くらいです。
さあ、ベトナムにいざ出発!
 



★正式名称【ベトナム社会主義共和国】
この地球上で唯一、あのアメリカ軍相手に戦争で勝った国です。(アメリカいわく「政治的敗北」らしいです)
首都はハノイです。(ホーチミンではないですよ)
国土は九州を除いた日本の面積とほぼ同じ。
人口は約9000万人です。(ハノイが約800万人、ホーチミンは約900万人)

ベトナムのGDPは約1300億ドル。一人あたりの年間所得平均は約1400ドルで世界平均の15%にも満たないほどのレベルです。

ベトナムの魅力はその平均年齢の若さです。
少子高齢化で瀕死の日本とは真逆の状況で、ボリュームゾーンが20~30代という非常に有望な人口構成になっています。
25歳未満の人口はなんと日本の2倍!
若者が多いその理由は今更説明するまでもありませんが、ベトナム戦争における大量の犠牲者が原因です。
たしかに・・と言ってはなんですが、ハノイもホーチミンもお年寄りを見るのは稀だったと思います。
ベトナムの著しい経済発展は若者達の豊富な労働力によって支えられているわけですね。


★ベトナムのお金
通貨は【ドン】=VND
1VND=0.005円
という感じで、この通貨がメチャクチャめんどくさかったです。笑
今まで使ってきたドルやバーツやルーブルと違って日本円に換算したときに桁が逆に増えるからです。

1USドル = 100円
1VND   = 0.0053円
(190VND = 1円)

・・・わかりにくいです。笑
95,000ドンでようやく500円です。
最初に5000円を両替したときは950,000ドンにもなりました。
ホテルの部屋に置いてあったエビアンをタダ水と間違えてうっかり開けてしまったんでとっさにプライス表を見たんですが、170,000VNDと書いてあるんで目が飛び出そうになりました。
実際には900円ほどです。
インフレ気分を味わいたい方や、お金持ちごっこをしたい方はベトナムドンおすすめですよ。笑
 

★ベトナム人とメシ
ベトナムのごはんで代表的なのは米粉を使った平打ち麺【フォー】です。
ベトナムの国民食ですね。
ベトナム人は週に3回以上フォーを食べるそうで、毎日フォーが朝ごはんという人も多いようです。
・・というか子供も大人もベトナムでは朝食を家ではなく屋台で食べるのが一般的。
屋台は朝の5時から開きます。
毎朝通る道が同じならば、必然的に朝ごはんは毎日同じになりますね。
今回、レストランで食べたフォーはかなり美味しかったです。
薄味のスープに歯ごたえのあるモチモチ麺・・
これはそのまま日本で出しても間違いなくイケると思いました。
北のハノイと南のホーチミンではスープや麺の仕様が少し違うとのこと。
これは日本におけるうどんの関東風・関西風と同じような感じかもしれません。
 

★ベトナム人と労働
ベトナム人の所得。
これは他の周辺国と同じで上から下までかなりの開きがありますので一概にいくらだとはなかなか言えません。
私と同じような年齢の日系企業工場勤務者でだいたい月収9,000円~15,000円位でしょうか。
条件を絞ってもなおアバウト表記なのは都市部と地方では賃金に差があるためです。
去年行ったタイの一般的な工場勤務者の賃金が30,000円前後だったのですから、ベトナムはまだまだ遅れをとっていますね。

ベトナム人は寡黙で受け身です。
ガツガツ前に出て自己主張するというタイプの性格ではありません。
仕事においても言われたことは忠実にこなしますが、言われた以上のことは積極的にしません。
人の上に立ってあれこれ指導したりするのも苦手だと聞きます。
でも会社まわしていくにおいては全員がそれでは困ります。
そういう人材がほしい場合は、大学出身者やエリートを採用して徐々に育てていくのだそうです。
でも、これはベトナム人だから~という理由はあまり関係なく、日本人でも同じような感じかなと思いました。

あと、ベトナムの女子はよく働きます。
工場を見ても労働者の7割は女子という有様です。
ベトナム戦争のときは若い男子は皆戦場へ行きました。
その間、家の主は妻。
夫が帰ってくるまで、家を守りました。
だから今でもベトナムでは女子がしっかりしています。
さらにすごいのは子供を産んでも2、3ヶ月したら子供は実家に預けて、すぐ職場に復帰してくるそうです。
困ったのは男のほう。
あまり働きません。
妻が働いている間、夫は家で寝ていたり、友達とトランプをして遊んだり、たまに力仕事を手伝ったりで、一応役目は果たしているみたいです。
 

★ベトナムの名物風景
ここではベトナムの名物【無茶バイク】のご紹介。

















はい、メチャクチャです。
ベトナムでは3人乗りは違法なんですが、例外は子供の場合。
子供は「一人」とカウントしないそうで、お父さん、お母さん、子供2人の計4人乗りというパターンは実は違法ではないとのこと。
でも、友達同士で4ケツという風景はよく見ました。
完全に違法です。(特にとがめられる様子もありませんが・・)



ちなみに今回一番爆笑した無茶バイクがこちら。


ちょ・・っと!笑
 


★ベトナムのバイク市場
さて、ベトナムでのキチバイクの光景はさて置き、今や世界的にも有名となったベトナムのバイク事情。
そんなベトナムの二輪市場について少しお話ししましょう。
ベトナムのバイク販売規模は中国、インド、インドネシアに次ぐ世界第4位という大きさです。
ベトナムの2013年の二輪の売り上げ台数は約350万台でした。(生産は400万台を超えたあたりです。)
この売り上げ規模の中でも日系3社(ホンダ・ヤマハ・スズキ)が80%のシェアを握っています。
やはりベトナムで圧倒的な強さを誇るのはホンダですが、今回の視察では以前に比べヤマハのバイクが増えたなと感じました。
他にはピアジオ(伊)やSYM(台湾)も一定のシェアを持っています。
ベトナムローカルメーカーもあるのですが、ほとんど見ません。
インドやアフリカで幅を利かせているバジャージ(印)のバイクはまったく見ませんでした。



こちらはベトナムで大人気の車種 ホンダ【エアブレイド125】。
当たり前ですが125ccです。
これが新車で18万円ほどです。
一般ワーカーのほぼ年収に匹敵します。
倍ほどの価格で150ccバージョンもあります。
ベトナムでホンダの、しかも新車の、しかも150ccは羨望のまなざしです。
それだけならいいものの、容赦なく盗まれます。
だから見栄を張りたくても我慢して125ccに甘んじる人も少なくありません。
といわけでベトナムのバイクの大半は125ccです。



そして250cc以上は滅多に見ることがありません。
今回の滞在ではレブル(ホンダ)、ビラーゴ(ヤマハ)、ニンジャ250R(カワサキ)を2、3台見ただけです。
ほとんど見ない理由はもちろん価格の問題もあるのですが、ベトナムでは175cc以上のバイクの免許は政府の役人とパイプがないとほぼ取得が無理だからです。
近々、この理不尽な制度(?)も廃止され、一般人でも取得が容易になるようです。
とは言っても、肝心のバイクが高すぎて買えないわけですが・・。

さらに雲上バイクでは、ハーレーダビッドソンを1台と日本製スーパースポーツを2台見ました。
ベトナムにもスゴい金持ちがいるもんだ。



このように怒涛の勢いでバイク市場が成長しておりますので、予想よりはるかに短い期間でベトナムのバイク台数は飽和状態になるだろうと言われています。
かといって、バイクの次は自動車だー!という具合にベトナム全体がそうなるのかといえば、ベトナムの自動車事情がそう簡単には許してくれません。
それは後述しますが、ベトナムでの自動車の所有は経済的な意味で障壁が高すぎるからです。
年収が増えてもバイクから自動車へのステップアップの「距離」は果てしなく遠いのです。これはつまるところバイクと触れ合う期間が必然的に長くなるという意味でもあります。
だから、ベトナムにおけるバイクの存在というのは我々が思っている以上に人に密着したアイテムであり、己の分身という扱いです。
ただのアシではなく、ファッションであり、ステータスであり、所有感を満たす重要な相棒。
各社がバイクにかける情熱もうなずけますね。



ベトナムの二輪生産の歴史は1990年代半ばから始まりました。
ドイモイ政策のもと、急増する国内需要に応えるため、外資系の二輪会社を誘致してベトナム国内での二輪製造&販売に力を入れようとベトナム政府は考えました。
95年にスズキ、96年にホンダ、98年にヤマハと、90年代後半に日本の二輪企業がベトナム市場に出揃いました。
ただ、それ以前に大量の中古バイクがベトナムを席巻しており、やはりと言ってはなんですが、圧倒的なシェアと品質に定評のあったホンダ(主にカブ)が、それ以降も断然強かったようです。(ベトナムでバイクのことを『ホンダ』というのはそのため)



2000年に入った頃に中華バイクブームがベトナムに到来しました。
これは当時、国内の不況で大量の在庫を抱えていた中国のバイク工場がその在庫処分のあてにベトナムに目を付けたというもので、安価な中国製バイクがベトナムに大量に流入してきた珍事件です。
この中華バイクの勢いはゴキブリの増殖かそれ以上のスピードで増大していき、90年代末には4~50万台と言われていたベトナムのバイク市場が、たった3年で200万台にまで膨れ上がったというものです。
ホンダが販売していた主力モデルの1/3~1/4ほどの価格だった中華バイクは、2001年ごろが最もピークを向かえた時期であり、この時のベトナム国内での中華バイクのシェアはなんと8割にも達したと言います。
タチが悪いことにこの中華バイクは【HONDA】ブランドで売られていました。(つまりホンダの偽物)
しかし、驚きの安さの裏には必ず理由があります。
工作精度もあまく、メンテのことなどもあまり考えられていない構造ゆえ、この中華バイクはよく壊れたそうです。
それまでホンダのバイクがいろんな意味でバイクの「スタンダード」になっていたことを、この時ベトナム人は初めて理解したのです。
また、自国のバイク産業を育てるために外資系企業に門戸を開放したにもかかわらず、この中華バイクは実質、簡単な組み立てだけで形になるキットバイクゆえ、バラバラのパーツでは関税もかけられないおまけに自国のバイク産業も育たないということで、ベトナム政府が国内の組み立て業者に対して厳しい取り締まりを行ったことも、中華バイク減少のきっかけになりました。
この中華バイクは2003年から徐々に数を減らしていき、今では農村部で多少走っている程度にまで減少しました。




ベトナムでシェアバトルを繰り広げるビッグ2のホンダとヤマハですが、現在、部品の現地調達率は金額ベースで9割以上と言われています。
ベトナムにおける裾野産業は、こと二輪に限定して言えばほとんど成熟状態にある・・と、言いたいところですが、原材料の鉄やアルミなどは大半が輸入品であることや、設備が整った焼入れ屋も存在しないということも聞きましたので、実質的な現調率はまだまだ低いのかもしれません。
 


★ベトナムの自動車市場
さて一方、ベトナムの自動車市場の動きはどんな感じなのか、
バイクほど市場自体が大きくないので詳細は書けませんが、現状と今後の動向について書きたいと思います。
まず、バイクと違いベトナムで自動車を所有することは容易ではありません。
その理由は簡単で、単純に「価格が高すぎる」からです。
自動車そのものが贅沢品であるため、かなり高額な税金を納めなければなりません。
まず輸入関税。
ASEAN諸国からベトナム国内への輸入の場合で車体価格の50%が上乗せされます。
他に特別消費税が45~60%(9人乗り以下)、付加価値税(VAT)10%が輸入時にかかります。
他にも車両登録税やディーラーの手数料も上乗せされます。
日本で150万円のトヨタカローラはベトナムでは倍の300万円(!)
レクサスは下位モデルでも1000万円を超えるウルトラセレブリティ―な車なのです。
ベトナムの自動車購入費用は他の東南アジアの国々と比べてもかなり高いです。
・・とはいっても上には上がいるもので、国土が狭く規制が厳しいシンガポールではプリウス1台が1500万円もするのですからそれに比べればベトナムの自動車価格はまだまだ安いほうです。笑
あと、ベトナムでは車検もあります。
制度についての詳しい内容はわかりませんが、新車で買ったものは2年おきに、古くなるにつれて1年車検になるそうです。
自動車の運転免許も取得がかなり難しいようで、実技と学科を合わせて6ヶ月ほどかかるようです。
取得費用は10万円前後。
もちろん一般人は苦労してライセンスを取ったところで運転する自家用車などないわけですから、自動車の免許を持っている人はかなり限られています。



ちなみにベトナム自動車市場でシェアNo.1のメーカーは我らがTOYOTAです。
トヨタシェア35%!
以下、GM、フォード、スズキ、ダイムラー(メルセデス)と続きます。

あまりイメージがわきませんが、ベトナムでは自動車の生産も行われています。
トヨタ自動車も【カローラ】や【ハイエース】をベトナムで生産しています。
日系メーカーやローカルメーカーその他外国メーカーをすべて含めると約20社ほどがベトナムで自動車の組み立て生産を行っています。
しかし、アジアのデトロイトと称されるタイとは違って、ベトナムの自動車産業の裾野はかなり脆弱。
大規模な自動車部品メーカーがないため、部品の大半を周辺国から輸入しているのが現状です。
つまり現地調達が全然できないということです。
ベトナムでの自動車部品生産といえばシートやハーネスのような労働集約型の部品くらいなものです。
メーカーにもよりますが、現調率はだいたい20%~30%ほどだと言われています。
現調率90%と言われる二輪に比べ圧倒的に低いです。



新車販売台数は10万台前後と、タイの1/15程度の規模です。
ベトナムにおける人口の増加と所得の倍増は火を見るよりあきらかで、将来的にはかなり有望な市場に育つのは間違いありません。
ベトナムに工場を持つ自動車メーカーはベトナム自動車市場の将来性について期待をしているのですが・・・
目先の問題として今、ベトナム自動車産業の将来を左右する重大な問題があります。
ASEAN地域からの輸入自動車に対してかけている現在の自動車関税を2018年に全廃するという政府の方針です。

先に言いましたとおり、現在、ASEAN地域からベトナム国内に自動車を輸入する場合50%の関税がかけられていますが、なんとこれが4年後には0%になります。
ベトナム政府の無策が致命的なのは、2018年の時点で完成車輸入の関税は0%になることが決まっているのにもかかわらず、輸入部品に対しては税金免除等の税制優遇制度を特に決めていないということです。

これはどういうことかと言えば、つまり高い税金がかかるのを承知でわざわざベトナム国内に部品を輸入してベトナム国内で自動車組み立て・生産をしている自動車メーカーが、タイやインドネシアから完成車を輸入するほうが無税で安くつくというということで、2018年までにベトナムから工場を引き上げる可能性があるということです。

ただでさえ自動車部品メーカーが貧弱で現地調達が困難なベトナムなのに、そこに加えて高い税金を払ってベトナムで自動車を生産するメリットなどもはや皆無です。

ベトナム政府は早急にこのひずみを修正しないといけないでしょう。
この問題を放置すれば、ベトナムの経済成長に致命的なダメージが及ぶのは言うまでもありません。
こういう現状ゆえに今回訪問させていただいた現地の二輪部品メーカーの方も「ベトナム政府は、自動車産業をどのようにしたいのか・・正直わかりません」とおっしゃっていました。



しかし、ベトナム政府が自動車をこれ以上増やしたくないという気持ちも分からなくはないです。
何せバイクですらあの有様ですから、これから国民の所得が上がり全員が自動車を所有するとなれば、そこらで渋滞のオンパレードになるのは明白。
まともに前に進むこともままならず、都市機能は完全にマヒしてしまうでしょう。
生かさず殺さずの今の方針はそれなりに理にかなっているような気がします。



自動車産業の優遇政策でアジアのデトロイトとまで言われるほど成長したタイ、かたや同じくチャンスがありながら海外資金の呼び込みに失敗しその後20年ほど低成長を続けることになったフィリピン。
2つのモデルケースが頭をよぎる今、ベトナムは難しい選択に迫られています。
後ろを振り返れば、低賃金を武器に怒涛の勢いで追い上げを見せるミャンマーもいます。
躍進を続ける周辺国に埋没してしまわないように、ベトナムは『勤勉』『粘り強さ』といったものを武器に一歩一歩発展してほしいと切に願います。



以上、ベトナムレポート終了です。
 

次回はおまけ編。
今回、エースコックベトナム様に訪問させていただいましたので、それにまつわるエピソードや、ベトナムインスタントラーメンのレポートをお届けしたいと思います。
インスタント麺好きな方は必見。笑

気長にお待ちいただければ幸いです。

ではでは。

 
イッセイ

2013.12.29

タイ日系企業視察の旅 (おまけ カンボジア編)



さて、後編は最終2日間に訪れたカンボジアのことを少しだけお話したいと思います。
それとタイで手に入れた少し変わったお土産もご紹介します。
今回はおまけ程度の内容です。ご了承ください。(笑)




さて、今回のカンボジア視察(ほぼ観光)についてですが、滞在時間が短くタイ視察後のおまけほどにしか思っていなかったので、基本情報はほとんど調べずの入国でした。
今になってから調べるという有様です。
以下にカンボジアの基本情報を書きますと・・
国土は日本の約半分。
人口約1513万人。
GDPは約128億ドルで、これは鳥取県の1/2程度の経済規模。
一人当たりのGDPは851ドルで、世界平均の10%にも満たないレベル。
・・おおまかに書くとこんな感じです。




カンボジア通貨は【リヤル】ですが、USドルや一部タイバーツでの支払いも可能です。
私自身、滞在中の支払いはすべてUSドルで済ませました。
ただし、1ドル未満のおつりはリヤルで返ってきます。

首都はプノンペン。
今回はアンコールワットの観光が目的でしたので、プノンペンから北に300kmほど離れたシュムリアップに降り立ち、観光後はそのままタイ経由で日本に帰りました。
つまりシュムリアップ周辺の街しか見ていないので、ビルのひとつもない農業国の印象しか残らなかったのですが・・
帰ってからインターネットでプノンペンの街を見ましたら、意外と近代的な街並みも見られるようで驚きました。
フランス植民地時代の建物もそのまま残っているようです。


 

さて、今回のカンボジアのメインとなったアンコール遺跡の見学について書きたいと思います。
アンコール遺跡とはカンボジアの象徴ともいえる世界遺産です。
東京23区と同等の広さの中に点在する遺跡群の中のひとつが皆さんご存知【アンコールワット】と呼ばれる寺院です。
12世紀前半に建設されたヒンドゥー教の寺院で、建設には30数年を要したと言われています。
約5kmに及ぶ塀に囲まれた敷地には3つの回廊とそれに囲まれる5つの祠堂があり、柱や壁にはヒンドゥー教や古代インドの叙事詩が描かれたレリーフがくまなく施されております。













このようなすばらしい建造物にもかかわらず、1970年代には共産主義勢力のクメール・ルージュによって寺院内の彫刻や仏像は悉く破壊されました。
今なお完全修復には至っておりません。

さて、あらゆる世界遺産訪問の中でもこのアンコールワットほど感動したことは今までありませんでした。
それはアンコールワットという建築物が素晴らしいと思ったということより、厳密に言いますと今から380年も昔に森本右近太夫一房という一人の日本人が仏教の聖地『祇園精舎』を目指してこの地に来たという事実が存在するからです。
森本右近太夫一房という人物は江戸時代初期に存在した平戸藩の武士で、加藤清正に仕えた亡き父の菩提(ぼだい)を弔うため、当時『南天竺』と言われていたカンボジアにたどり着いた人物です。
後述しますが、決してカンボジアを「目指した」わけではありませんでした。







朱印船に乗って明を経由し、陸路をひたすら歩き、ようやくこの地にたどり着いた森本はアンコールワットの『沐浴の池の跡』の柱に墨で落書きを残しました。
以下がその文。

寛永九年正月初而此処来生國日本
肥州之住人藤原朝臣森本右近太夫
一房御堂心為千里之海上渡一念
之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
其仏像四躰立奉者也
摂州津池田之住人森本儀太夫
右実名一吉善魂道仙士為娑婆
是書物也
尾州之國名谷之都後室其
老母之魂明信大姉為後世是
書物也
寛永九年正月丗日

おおまかな内容を言いますと、
「寛永九年正月この地にたどり着く。日本生まれの森本右近太夫一房なり。亡き父の菩提を弔うため、母の後生を祈願するため、何千里の海を越えてやってきた。ここに仏像四体を奉納する」
こんな感じの内容でございます。

寛永九年正月とありますから、西暦でいうと1632年になります。
そんな大昔にカンボジアに行ったんですよ!スゴイですね。
実はその森本が書いた落書きが今でも残っています。
それが↓コレです



この地を目指した森本の想いを、苦難の連続を、そして聖地が眼前に現れた時の感動を想像しながらその落書きに触れていますと、涙が出てくる思いでした。
苦難の道程が月並みですが垣間見えたから・・・と言うのは少々おこがましいですね。
10日間ほどの滞在の後、森本右近太夫は無事日本に帰ってくることができました。
しかし、アンコールワットのあるここはカンボジア。
そう。祇園精舎があるインドではなかったわけですね。
己の信仰心に導かれるままに仏像四体を奉納したこの寺院も、悲しいかな仏教寺院ではなくヒンドゥー教寺院だったという事実・・。

しかし、この地が天竺だろうが南天竺だろうが、先祖の魂を供養するという信念のもと苦難を乗り切りこの地にたどり着いたという行動に深い意味があるのだと私は思います。




年代にはバラつきがあるものの、当時アンコールワットを訪れた日本人は森本以外にも数名いたようです。
その誰もがここアンコールワットを【平家物語】の冒頭に出てくる『祇園精舎』だと信じて訪れたのだろうと言われています。
ちなみに森本右近太夫一房が書いた件の墨書(落書き)ですが、ポルポト政権時代にアンコールワットを要塞として使っていた兵士が上からペンキで色を塗ったため、墨書の判読ができなくなりました。
近年、時間の経過とともにペンキが落ちてきて少しずつですが墨書が判別できるようになってきたのは喜ばしいことです。




時を越えて同じ国からやってきた日本人として異国の地の同じ場所に立つ。
なんというロマンでしょうか。
我々日本人にとってはそれだけでアンコールワットの魅力が倍増します。
歴史のロマンに浸りたい方、是非行ってみてください。
感動はこの私が保証します。笑
 


 
さて、ここからはタイ視察番外編です。
今回たくさんの珍品を手に入れることが出来ましたのでそれをご紹介します。
まず、【レッドブル】。
今や世界一売れているエナジードリンクといえば間違いなくレッドブルです。
その発祥が実はタイであるというのは、前回のタイレポートでもお伝えしたとおりです。
実は今回、本場タイのオリジナル【レッドブル】を入手することが出来ました。
それがコチラ!



皆さんよくご存じのワールドワイド版レッドブルと違う点を挙げていきますと・・。
・瓶詰め仕様である
・炭酸ではない
・実は【レッドブル】という商品名ではない
と、まあこんな感じでしょうか。
向かい合った水牛のデザイン以外、共通点があまりありません。
ちなみにこのタイオリジナル【レッドブル】ですがその起源を辿ると、なんと日本の【リポビタンD】をヒントに生まれた栄養ドリンクだったのです。(瓶詰め仕様や炭酸飲料でないのはそのため)
今回はタイ版のリポビタンDをはじめ、カンボジア現地仕様レッドブル等、かなりマニアックなドリンクを持ちかえることに成功しました。
私の大切なコレクションです(笑)




左・元祖タイオリジナルレッドブル 中・ワールド版レッドブル タイ仕様 右・カンボジアオリジナルレッドブル(シュガーフリー) 




さて、本レポートはデジカメを落としてしまったおかげで写真が少なくなったわけですが、ではどこで何をしている最中に落としたのか・・。
実はパッポン通りに行く道中に落としたのです。
もっと正確に言うとパッポン通りに行くのにトゥクトゥクを捕まえてそれに乗ったわけですが、運転手のあんちゃんがノリノリで大爆音の音楽を流してくれて、ヒャッハー!とか言いながら一緒になってノリにノっていたらその最中にポケットから落ちちゃってたというわけです。
アホですよね。
そんな多大な犠牲を払ってまで買いに行ったのは一体何だったのか・・!
実はTシャツです(笑)
そう、2年前のレポートでも少し触れましたが、タイはパロディTシャツの宝庫なのです。
B級ファッション好きなわたしにとってはもはや聖地といっても過言ではありません。
他にもブランドもののバッタもん(服や時計)が屋台に積み上げられています。
もちろんTシャツをつくるのなんかは朝飯前。
著作権無視のやりたい放題で生まれたデザインですからパンチの効きがハンパではありません。
そんなオモシロTシャツの数々をご紹介しましょう。



まず、無難に【レッドブル】です。
デカデカと書かれたタイ語がまたなんとも形容しがたいうさんクサさを放っています。


 

こちらはレッドブルよりはるかに有名なあの炭酸飲料です。
タイ語バージョン【コカコーラ】ですね。
 



そしてこちらは赤いマークの炭酸飲料のライバル【ペプシコーラ】!
・・・のはずですが・・・。




これはケンタッキーフライドチキン(KFC)の店舗に必ず立っているあのおじさんの顔のように見えますが・・。


 
よく見ると【KFC】は【ケンタッキー~】の略ではないようです。




世界一有名なイギリスのバンド。
・・ではなく、悪党の集団です。
某国の元大統領さん(笑)



そしてレッドブ・・・
栄養が足らずに死んでますね。(カンボジアのガイドさんにバカウケでした)
他にもモンスターエナジーのレーシングジャケット(バッタもん)や、アルマーニのポロシャツ(もちろんバッタもん)など、ありとあらゆるいかがわしいアイテムがわんさかありました。
これらのお土産を見に行くだけでも十分価値はあります。
おもしろTシャツで「こんな変なのあったよ!」という情報があればぜひ情報交換しましょう(笑)
タイ・カンボジア視察レポートはこれにて終了です。

さて、2013年ももう終わりですね。
今年は3月のインドにはじまり、7月のロシア、そして11月のタイ、カンボジアと、気軽に行くには少し敷居が高い濃厚な地域に行くことができ大変意義のある年になったと思います。
来年は南米か北米かアフリカかな?
もっともっと見聞を広めて、自分の成長、会社の成長に繋げていきたいです。

今年も色々とお世話になりました。
来年度も【株式会社 旭ノ本金属工業所】をよろしくお願いします。



皆様よいお年を!


イッセイ

2013.11.24

タイ日系企業視察の旅

さて、皆さんお久しぶりです。私です。

今回もいつもと同様、11月の上旬から約1週間、海外日系企業視察に行ってまいりました。
行き先はタイです。
あと、カンボジアにも寄ってきました。
木枯らし吹き荒れる11月初旬、寒い寒い~と言いながら日本を出たわけですが、さすが南国タイ。
結構暑かったです。
カンボジアはもっと暑うございました。



私自身タイ訪問は今回で2度目です。
初めて行ったのは2年前、洪水の真っ只中でした。
(前回のレポートはコチラ → http://www.hinomoto-metal.com/blog/?p=1104)

あとそれから・・・
スミマセン。
実はタイ最終日前日の夜なんですが、ものの見事にデジカメを落としてしまいまして・・
本視察のレポート用写真ですが、ほとんどありません(笑)
最終日の移動中に必死に撮った写真が何点かございますので、それを薄く浅く活用していく所存でございます。
活字ばっかりのレポートになってしまうかもしれませんが、最後まで読んでいただければ・・嬉しいかな。

タイで11月といえば乾季にあたるのですが・・・今回珍しく雨に打たれました。

さて、前回のレポートはタイで見た自動車やバイクのことを中心に町の風景や国民性のことについて書きましたが、今回はタイの自動車事情についてもう少し掘り下げた内容を書きたいと思います。

てか、ほとんどそれがメインなんですが・・。

投げ出さずにお付き合いいただければと思います。




さて、タイの街を見ますとまず気づくのが日本車の多さです。
これは2年前のブログでも書きましたが、タイの街には日本車が溢れています。
2年前に見た光景とほとんど変化は見られません。
タイでは『日本車』はもっとも人気のあるカテゴリーです。
街で見る車の実に8割方が日本車なのです。
(実際に2012年のタイ国内新車販売台数の内、日本車のシェアはなんと88.5%でした!)

タイと日本車の縁は割りと歴史があります。
日産を例に挙げますと、正式な輸出は戦後まもない昭和24年から行っていたようで、昭和35年にはタイの日産総代理店がタイ政府に許可を申請して、かの有名な【ブルーバード】のノックダウン生産を開始したとのことです。
前回行きましたタイ某所にある自動車パーツの宝庫に関しても70年代の日本車のパーツ等が大量にありましたが、あれはその当時、日本からの輸入車またはノックダウン用に日本から大量に送られてきたパーツが今に残っているからです。
タイでの絶大なる日本車人気の理由は、その当時からの信頼と実績が現在まで積み重なってきた証だと言えますね。(ドヤ顔)
そこに加えて車好きのタイ人気質が発揮されるわけですから、ヒュンダイ自動車やタタ自動車のような途上国が生産している「ゲタ用自家用車」がバンコク市街にはまったく走っていないわけです。
この点は、日本人として非常に嬉しく思うところです。









さて、バンコクの街中で走っている自動車の中で、特に多いのがピックアップ車両。
ピックアップタイプの車両は日本ではあまり馴染みがないですが、わかりやすく言えば【サニトラ】みたいな形の車です。
5台に1台がピックアップとは言いすぎですが、確実に10~15台に1台はピックアップだと言っても過言ではありません。
基本サイズは積載重量1tのタイプです。
一番人気はやはりトヨタの【ハイラックス】です。
その次に多いのが意外にも【D-MAX】といういすゞのピックアップです。
実はここタイではいすゞブランドは我々が思っている以上にメジャーなブランドで、とても人気があります。
他は日産や三菱やマツダ、フォード、シボレーなどのピックアップもチラホラ見かけました。

しかしなぜにそんなにピックアップ車両が多いのでしょうか。
それには理由があります。
まず水害が多いタイでは車高の高いピックアップ車両は非常に実用的だということです。
基本歴にバンコクの周囲50kmは一つの山もない平地です。
都市機能として水捌けの悪さはよく指摘されるとおりで、少しの大雨ですぐに川から水があふれ出します。
実は道路が水浸しになるのは珍しいことではありません。
そういう非常時に活躍してくれるのがピックアップ車両というわけです。
あとタイではピックアップ車両の荷台に人を乗せて走ることはなんら禁止されていません。
どこぞの途上国で見るような、人員満載状態で走行している光景というものはさすがに見ませんでしたが、やはり荷台に人を乗せて走っているピックアップ車は多かったです。
渋滞の多いバンコクは少しでも車の台数を抑えたいはず。
荷台で人を運ぶのは利にかなっていると言えます。




実はタイではピックアップ車両が税金面でとても優遇されています。
これがピックアップ車両人気の一番の理由でしょう。
タイでは自動車購入時に車両販売価格の何%という具合に物品税がかかるのですが、ピックアップ車両は普通自動車に比べてこの物品税が格段に安いのです。
詳しく書きますと普通乗用車(2000cc以下)―30%、エコカー指定を受けた小型車―17%、ピックアップ車―3%、ダブルキャブ(2列シートのピックアップ車)―12%。
どうですか!ピックアップ車は3%ですよ!3%!
乗用車の1/10の税率です。
優遇されすぎでしょ。笑
タイには変な荷台をくっつけたジムニーやミラがありましたが、まさにこういった理由からです。



タイでは昨年、新規自動車購入者(初めて自動車を買う21歳以上のタイ国籍者限定)に対して税金還付を行いました。
対象は、タイ国内で製造された自動車で100万バーツ(約300万円)以下の△1300cc以下の乗用車△ピックアップ車両(ダブルキャブ含)、いずれかの購入者に対して最大で10万バーツ(約30万円)を還付・・というものでした。
申請件数の多かったのはどの地方か・・全77都県中、1位のバンコクが9万5000台、2位チョンブリ県5万6000台・・(以下略)という結果で、この制度によって2012年のタイ国内の新車販売台数は143万台に達しました。
なんと前年比81%増です!
数年後には渋滞がピークになり、タイの交通機能は深刻な事態を向かえると政府は予測しているようですが・・・もうすでに深刻な事態に陥ってると思いますよ、ハイ。

ちなみにタイにも自動車の【車検制度】が存在します。
検査はなんと10年に1回!
ですが、それすら簡易的な書類のやり取りで終わる場合がほとんどで、実質「なし」に等しいとのこと。




ガソリンはレギュラーで1L90~100円くらいです。
日本の価格の半分も安くないです。

では交通機関のことにも少し触れておきましょう。




まず【タクシー】。
タイのタクシーはそのほとんどがトヨタのカローラです。
そしてなんといっても色がどれもカラフルです。
滞在中に見たタクシーの色は
・黄色×緑のツートン
・ピンク
・オレンジ(朱色?)
のおおむね3パターンでした。
個人タクシーや会社所有などの種類があるようですが、単純に色での区別ではないそうでそのあたりの見分け方はわかりません。
料金は基本的にメーター制です。
雨の日や場所が繁華街とかのいわゆる『売り手市場』の場合は乗車拒否をされることもあります。
前回の洪水タイ視察の時には何度かタクシーに乗ったのですが、今回は乗らずでした。




しかしこのピンクタクシーの色・・・
今話題のクラウンのアレとそっくりじゃないですか(笑)
 

 

続いて今タイで頭角をあらわしてきているのが【バイクタクシー】です。
バイクタクシーとは運転手の後ろにいわゆる『ニケツ』スタイルで乗って移動するバイク型のタクシーのことです。
慢性的な渋滞に悩まされているバンコクでは非常に有効な移動手段です。
オレンジのベストを着ているライダーがいればそれはバイクタクシーのあんちゃんです。
しかし・・・まあ、これも運転手の程度にもよるのですが、信号無視、逆走、急発進等々、相当荒ぶる乗り物だそうで、地元の人間でもためらう人が多いのも事実。
実際、ガイドさんもやむなく一度乗ったのだそうですが「死ぬかと思いました。もう2度と乗りたくありません。」と、言ってました。
そうは言っても、渋滞の多いバンコクではもはや欠かせない存在。
引く手数多だそうで、朝の時間ですとそこらでバイクタクシーを待つ人たちが行列を作っていました。
これから先、このバイクタクシーはもっと成長すると思います。
なぜなら、タイ人に限らず所得があがれば皆、「自家用車」はバイクから自動車に自然とステップアップしていくからです。
バンコクの交通インフラ自体を大幅に改善しない限り、自動車の流れは悪くなる一方です。
いくら自動車が増えても道路は増えませんから・・。
バイクタクシー家業はまだまだ安泰です。



 
そしてタイ名物【トゥクトゥク】。
やっぱりタイに来たら1度は乗っておかなければ。
乗ってテンションがハイになった結果、本レポートの素材がギッシリ詰まったデジカメをどこかで落としてしまったわけで(笑)
まあ、それだけバイク好きにはたまらない乗り物ということです。
風を切りながら渋滞の隙間を爆走するトゥクトゥクは爽快そのものです。
バイカーにはぜひ一度体験してもらいたい乗り物です。
料金メーターはありません。
料金は交渉しだいです。
「ターミナルトゥエンティーワン!ハウマッチ?」 → 「オッケイ!ヒャクバーツ!」
「パッポンショッピング!ハウマッチ?」 → 「オッケーイ!ヒャクバーツ!」
どの場所を言ってもとりあえず100バーツ(300円)と言ってきやがります。
ちなみに私が泊まっていた【ロイヤルベンジャホテル】を中心に【ターミナル21】へ行くのと、その反対方向へ行く【パッポン通り】行きでは倍ほど距離が違います(笑)
とりあえず値切ってみましょう。
逆にどの辺まで100バーツで行けるのか実験してみる価値はありそうですね。
さて、前回のレポートではトゥクトゥクは二輪を改造したものと言いましたが、ガイドさんいわく現在タイにあるトゥクトゥクの大半はその昔、ODAで日本から海を渡ってきたダイハツのミゼット(3輪車)を改造したものらしいです。
新規登録が打ち切られておよそ10年。
年々数が減ってきています。
経済が発展して移動手段が進化していけば、当然前時代の乗り物など自然と淘汰されていきます。
悲しいかなトゥクトゥクもまたその運命。
20年後にはバンコクの街からトゥクトゥクの姿は消えているかもしれませんね。
 


あと、タイにも【路線バス】は存在します。
しかし交通渋滞の多いバンコクではかなり不便な移動手段であるのは間違いありません。
すり抜けができないわ、車内は暑いわで・・結構キツいと思うのですが・・。
なんとバンコクのバス時刻表は、そのメインとなる「時刻」が記載されていません。
慢性的な渋滞でバスが定刻に来ることなど皆無なので書いていても意味がないのです。
どの番号のバスがどのルートを通るかという表だけあり、「時刻表」には【ここには○番と△番のバスが停まる】とだけ書いています。
せっかちな私なら間違いなくバイクタクシーに直行です。(笑)



さて、去年の暮れにタイで大々的に報道された自動車ニュースは【税金還付制度終了のお知らせ】だけではありません。
なんと、タイ市場の乗用車カテゴリーでは長年新車販売台数ナンバー1を死守してきたトヨタが、昨年12月ホンダにあっさりと抜かれてしまったのです。
12ヶ月の間に12車種のコンパクトカーを投入したホンダはシェアを30%にまで増やし、トヨタを駆逐。
さすがにこのニュースはタイ全土でも大きく報道されたようです。
焦ったトヨタは今年になってホンダのシティ(前回も言いましたが、日本で走ってたアレではない)を若干パクッた【ヴィオス】を投入するも、奪われたシェアを取り返すのにはまだまだ時間がかかる模様。
コンパクトカーの開発をおろそかにして、日本や北米でしか売れていないハイブリッドカーに開発資金を集中させていたツケが今になってジワジワと効いてきてるようです。
そのうちピックアップカテゴリーでもいすゞに抜かれたりするのでは・・と勝手な心配をしている私です。



さてさて、何度も申しましたが本視察レポートですが・・タイ最終日にデジカメを落としてしまいましたので、いつものように街の風景を見ながらのタイの日常をお届けすることができません。

折角ですから視察に直結したマジメな話でもしましょうか。
この私がマジメな話ですよ皆さん!
よほどデジカメをなくしたのがショックのようです。

さて、タイ人ワーカーの給料ってだいたいどれくらいだと思われますか?
これも地方によって上から下まで何倍もの差がありますので、一概にいくらだと言うのはできません。
私と同じ31歳男子、日系企業勤務、現場作業員、勤続3年目という人がいたとすれば、1ヶ月の給料は・・・だいたいですが10,000バーツ前後だと思っていただければいいかなと思います。
(×3をしますと日本円に換算できますので、10,000バーツ=約30,000円です。)
タイで自動車を所有しているのは工場勤務の人でもだいたい「班長以上」の役職の人になります。
さらに上を見ますと、オフィスのトップ(部長級)では月に60,000バーツ以上貰っている人もいるようです。
経済発展が著しいタイでは人件費のコストが年々上昇中です。
最近の話を言いますと、2013年1月1日からタイ全土での1日の最低賃金が全国一律300バーツに引き上げられました。
4、5年前まで1日最低賃金が約500円だったということですからここ数年で2倍に届きそうなほど跳ね上がったということになります。
それと、タイの残業手当は会社側にとってはなかなか頭の痛い仕組みになっています。
例えば8時~17時が定時だとします。
17時以降は残業になるわけですが、そこからの割り増し賃金は定時の50%増になります。
(日本では25%)
休日出勤の場合はどうか。
平日勤務のなんと2倍の手当てを支払わなければなりません。
休日のしかも残業手当となると平日定時のほとんど3倍になるそうです。
これは会社側としてはかなりイタいです。(笑)
なんせ、受注が大量にあるといって残業させまくっていると、実は人件費で儲けがほとんど飛んでしまうという事態になりかねません。
思っている以上に人件費が売り上げに対して連動しているということです。
どれだけ定時内で効率よく数をあげるかが利益確保のポイントだと思います。
 


タイ人の仕事のスキルはどうか。
やはり高いと思いました。
ライン現場ですと、誰一人無駄話もせず黙々と部品を組み立てています。
やはり手の動きが速いですね。
今回訪問させていただいた企業のひとつ、㈱沖データ様(プリンター製造)では、プリンターのセル生産現場を見せていただきました。
ここで見た一人のタイ人従業員の動きが忘れられません。
何百個のパーツを組み込んでいくのですが、上半身の無駄な動きが一切無くロボットを見ているような感覚になりました。
日本を始め世界各国の「現場」を見てきましたが、あんな動きをする作業員は今まで見たことが無いです(笑)
宮川化成工業㈱様(自動車の樹脂部品製造・金型製造)で見せていただいた現場では・・タイ人従業員がマシニングセンタやNC旋盤等、かなりハイテクな機械を操作していました。(機械はすべて日本製)
ちょっとビックリしました。
「タイにはこのような機械を扱える人間がそこらにいるんですか?」
とのこちらの質問には
「いいえ、実はタイで工場を立ち上げた20年ほど前に日本人技術者を連れてきましてイチから教えたんですよ」
とのことです。
やはりこのレベルの機械を扱える人はタイではまだそんなにいないようです。
傍から見れば日本の技術とさほど差が無いように思えますが・・そこはハッキリと違うのです。
金型ひとつとっても、先あたりや浮き等の摺り合わせの判断や、それを修正しながら合わせていく技術、これが金型製作ではもっとも胆になる部分で一番難しいところなんですね。
ここだけは効率化や設備投資などでは数値化できない「職人」の領域です。
やはり日本に比べて20年・30年の差があるわけです。
ただ、タイでこれだけレベルが高い技術があるのなら、日本のものづくりも油断していてはすぐに追い抜かれるのでは・・!
と危機感を抱いたのも事実です。
日本の技術力がナンバーワンであり続けるためには、誰よりも速く走り続けなければなりません。
速く走るには足の筋力が発達しているだけではダメでしょう。
体力、戦略、感覚、冷静さ・・さまざまな要因が高次元で融合して初めて実現可能となるのです。
今の日本は他のどの国よりも優れていると思います。
誰よりも先に行くために、踏み出す一歩は今よりもっともっと大きなものにしていかなければなりませんね。
 
 
さて、次回おまけ編はタイで買ったおみやげ紹介と、最終2日間に行ったカンボジアのことを少しだけ書きたいと思います。
 

気長に待っていただければと思います。

それでは~
 
 
イッセイ

2013.10.21

お茶の思い出

 

通称「古田のおばちゃん」が定年で会社を去りました。

私が幼少の頃からいましたので、30年近く旭ノ本金属工業所にいたということになります。

私がお客様を姫路駅まで迎えに行っている間に、最後の挨拶に来て冒頭の写真のものをそっと置いて帰ったそうです。

中はクオカードでした。

会社の古くを知る人が去っていくことは、やはり寂しいものです。
 


 
 
「ジュースが飲みたいよ~うわ~ん!」
母親との買い物の帰りに立ち寄った会社での出来事。

カップジュースの自販機を目の前にしてイッセイ少年は地面を転げまわってダダをこねていました。

小学校の低学年くらいの頃のお話です。

「よっしゃ。おばちゃんがお茶いれたろ」

と言って、事務所の奥で湯を沸かして緑茶を淹れてくれたのが古田のおばちゃんでした。

しかし、冷たいジュースが飲みたいイッセイ少年は緑茶を一口飲みこむなり

「熱い~!こんなんイヤや~ジュースジュース~」

と、アホみたいにダダをこねるばかりです。

食い下がる古田のおばちゃんは

「あ~熱いんか。ゴメンやで。ちゃんと冷ましたの入れたるからな」

と、言ってもうひとつ、同じ湯飲みを奥から持ってきました。

「イッセイええか?お茶をな、コレに入れたり移したりしとったらじきに冷めるさかいな。今からおばちゃんが冷たいお茶飲ませたるでな」

と、言って、湯のみを両手に持ち、エンヤコラエンヤコラと右の湯飲みにお茶を入れては、左の湯飲みに移し替え~という曲芸を披露し始めました。

イッセイ少年は「おばちゃんスゲエ!」と、泣くのをやめその芸を凝視していましたが、湯飲みのフチは丸く茶の切れが悪いのか、やればやるほど机がお茶でビタビタになっていくのです。

「イッセイ、お茶冷めたで、飲みや。」

と、差し出してくれた湯飲みには・・半分くらいしかお茶が残っていませんでした。

それでも、お茶がキンキンに冷えているものだと思ったイッセイ少年は嬉しそうにお茶を口に含んだのですが、もちろん期待しているような「冷たさ」になっているわけでもなく

「熱い~!こんなんさっきと同じお茶や~!ジュース~!ジュースが飲みたいよぉおお~!!」

と、また泣きわめくのでありました。

結局、母親にジュースを買ってもらったのかどうかの記憶はありません。

少年にはお茶のインパクトのほうが強かったからでしょう。
 
 
そんな古田のおばちゃんが会社を去りました。

わかっていてもなぜか寂しいものです。
 
今までありがとう。

 
 
イッセイ

2013.08.31

晴れ時々ペチカ (ロシア企業視察の旅)

 さて、行って参りました。

その名も【ロシア日系企業視察の旅】!



今回も大阪府工業協会様に色々とお世話していただきまして、6月の末から7月の頭にかけて約1週間強ですが、異国の地ロシアを堪能してまいりました。

地理的にはロシアも立派な「お隣さん」なんですが、なぜかあまり馴染みが無いというか、我々日本人には【近くて遠い国】という感じがします。

実際、テレビなんかを見ていましても、ロシアが画面に映る機会って少ないと思いませんか?

私、ほとんどテレビでロシアの風景見たことないんですが・・。

ロシアと聞いて我々日本人が抱くイメージとはどんなものでしょうか。


 
おそらくですが・・・

・国民は全員気性の荒い人間ばかり。

・街はどんよりと薄暗い。旧ソビエト時代に建てられた赤レンガのボロボロの家がそのまま放置されている。見るべき歴史的建造物はほとんどない。

・凶悪事件が多発するデンジャーシティ。夜中の徘徊は厳禁。日本人とわかるといなやドルフ・ラングレンみたいな大男にど突かれて裸にされる。
 


・・スミマセン。言いすぎました。笑

でもこれ、ロシアに行く前の私の率直なイメージです。

皆さんはどうでしょうか?

大なり小なり程度の差はあるでしょうが、ロシアに対して良いイメージを持っている方はかなり少ないと思います。

今回、ロシアを視察して私が肌で感じたのは、ロシア人は日本という国をかなり好意的に見ているということでした。

シベリア抑留や北方領土問題などの政治的なネガティブイメージばかりが先行しすぎており、それがロシアの真実の姿をかき消しているのは間違いないです。




今回は、私がこの目で見てきたありのままのロシアの姿をウソ偽りなくお届けしたいと思います。

歴史的なことや政治的なことを書くと、そこから前に進まないと思いますので思いっきり割愛させていただきます。笑

もちろん、車やバイクのことはたくさん見てきましたのでそのあたりを重点的に惜しみなく書いていきたいと思います。(てか、ほとんどそれがメインなんですが・・)

ロシア見聞録はじまりはじまり~




【ロシア連邦】

人口は日本よりやや多く約1億4300万人。

国土は世界一広く、なんと日本の45倍という巨大さです。

首都はモスクワ。人口は約1100万人。

ロシア第二の都市はサンクトペテルブルクで人口約500万人です。

ロシア帝国時代はなんとサンクトペテルブルクが首都だったそうです。

ロシアの人口はウラル山脈より西側にほとんど8割方が集中しています。

シベリアあたりはインフラ整備も遅れがちだったようですが、近年になってロシア政府も東の方へ人が流れるような政策(インフラへの投資や補助金支給)を打ち出したため人口が徐々に増えてきており、ハバロフスクやウラジオストクでは現在ではどちらも5~60万人ほどの人が住んでいるとのことです。

(我が姫路市の人口と同じくらいです。)




ロシアの前身は1236年のモスクワ大公国からはじまりました。
それ以降、ロシアツァーリ国 → ロシア帝国 → ソビエト連邦社会主義共和国 → ロシア連邦(現在)と、国の体系が様々に変容してきました。
先ほど登場しましたサンクトペテルブルクですが、実はソ連時代には【レニングラード】という都市名で、さらにその前は【ペトログラード】という都市名でした。

歴史の変容と共に都市の名前も変化してきたのですが、これは近隣諸国との戦争や、ロシア国内の内戦などで情勢が常に不安定だったという歴史の証です。

【平和】や【安泰】というものは「戦争反対~!」などと旗を振り回しながらボケーッと立っていて得られるものではありません。多大な犠牲があってその上に成り立っているものです。だから尊い。




さて、私が知ってるロシア史における有名人は・・・ピョートル大帝、ロマノフ(王朝)、

イヴァン1世~、アレクサンドル1世~・・

こんなとこです。

歴史上の人物以外では・・フョードル・ドストエフスキー(小説家)、エメリヤーエンコ・ヒョードル(格闘家)、あとテトリス好きとしてはアレクセイ・パジトノフも欠かせません。笑

近代史におけるロシアのイメージは第一次大戦以降にドイツ相手にドンパチしながら土地の奪い合いを演じた血の気の多いイメージが強いです。




わが国とは大日本帝国時代に一度大きな戦争をしており(日露戦争)、第二次大戦後から現在に至るまでは依然として北方領土問題を抱えております。

ロシア側は話し合いでの解決に積極的な姿勢を示していますので、一刻も早く円満解決の方向に持って行きたいところです。

前置きはこのくらいで・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
では~まずロシアは寒いというイメージがありますが、実際はどうだったか。

たしかに冬になると平気で摂氏マイナスの気温になります。

今回訪問したサンクトペテルブルクでも冬になるとマイナス30度にまで気温が下がります。

しかし、今回訪問した期間は6月下旬から7月上旬。

ロシアではもっとも暖かい季節になります。




正直言いますと、滞在していた1週間・・・メチャクチャ暑かったです。

長袖なんか一枚も要らないくらいに暑かったです。

寒かったら凍えてしまう!と思って持ってきたユニクロのダウンジャケットですが、まったくもって必要ではありませんでした。

必要なさ過ぎて捨ててやろうかと思ったほど暑かったです。

この日中の暑さが夜になるとちょうどよい気温になるわけでして、極寒のイメージしかないロシアにおいては今が一番過ごしやすい季節だったのではないかと思います。
 
ハッキリわかったことはロシアにもちゃんとクーラーが存在するということです。笑


 

さて、ロシア人の生活全般についても書いておかなければなりません。

まずロシアでの平均給与はどのくらいか。

これは都市部と地方では若干差があります。

ロシア全土での平均月収は約25,000ルーブルです。

現在のレートでは×3をすれば日本円に換算できます。

つまり日本円で月収75,000円ほどになります。

これが首都のモスクワでは平均で約43,000ルーブルとなり、日本円に換算すると129,000円となります。

もちろんこれはあくまで『平均』であり、貧富の格差が存在するのもまた事実です。
 


物価は高いです。

正直言いますと、ほとんど日本と同じくらいの水準です。

もしかしたら日本より高いのではないでしょうか。

サンクトペテルブルクではケンタッキーフライドチキンに行きました。

小ぶりの骨付きチキン5個、Mサイズポテト、Lサイズコーラのセットで250ルーブルでした。

日本円に換算すると750円ほどします。

現地の所得水準からすれば相当高いように思うのですが・・。

そんな『高級』な店であるにもかかわらず若者の姿がかなり目立ちます。
 
またスーパーにも行きましたが、総じて値段が高いように感じました。

ペプシコーラは普通の350ml缶サイズで30ルーブル。

日本で安売りしている場合、5~60円で売っているようなところもあるのでやはり高いような気がします。




謎の『武士道コーヒー』ですが、これも下位グレードで400ルーブル。

高いですね。

消費税は日用品・生活必需品で14%。

それ以外の贅沢品は18%となります。

前述のケンタッキーでの消費税は18%でした。(外食だからかな?)
 
 

さすがエネルギー大国だけあって光熱費は激安です。

ほとんどお金がかかりません。




あと、アパート。

モスクワには『国営アパート』というのがあります。

わかりやすく言えば、これはソ連崩壊時に国が国民に対して与えた激安アパートです。

社会主義体制になったときに国が国民から土地や建物を奪い取ったことへの「お詫び」ということになるのでしょうか。

家賃は1LDKの大きさで月に3000ルーブル。

しかも電気や水道が壊れたらその修理費も国が全部を負担してくれるというオイシイ物件です。

他人に譲渡すれば莫大な税金がかかる&激安賃貸権が失効するようです。

ただし、親が死んで子が受け継ぐことはなんら問題がないので、親からの「財産」として受け継がれているのが現状のようです。

もちろん、モスクワ市民の全員がこのようなアパートを所有しているわけではありません。しかし、家賃に関してはピンキリですが、日本より低く抑えられるのは間違いないようです。

ちなみにモスクワ市内の土地はすべて国有地だそうです。

(個人、または企業は「国から借りている」というになります)
 

ここで、ロシアの街の風景とロシア人の気質について見ていきましょう。










写真を見ていただければお分かりになると思いますが、非常に活気に満ち溢れています。

冗談抜きでロシアのイメージが一気に変わりました。

今回、モスクワ、ヤロスラブリ、サンクトペテルブルクと主要都市を視察したわけですがどの都市に行っても、想像していたような赤レンガのボロい建物などはほとんどありませんでした。

しかもどこに行ってもゴミがほとんどありません。

それどころか街全体のスキのない造りこみ、完成度に圧倒されまくりでした。

建物ひとつひとつの造形が無駄にカッコイイ・・!

 
 




街のいたるところで見られる騎士の彫刻や建物に施されたレリーフなど、さすが一時代を築いた大国だけあって今もその威厳は色褪せず現代に残されています。

モダンと伝統の融合においてはさすがとしか言いようがありません。

正直、下手なヨーロッパに行くより断然ロシアのほうがいいと思いました。

また街以外にも、大聖堂や美術館など歴史と直に触れ合う場もたくさんあります。

ロシア、ちょっとナメてました。

おそロシア・・!




そしてロシア人について。

実はこれも私は大きな誤解をしていたようです。

前述しましたとおり、ロシア訪問前の私の中での「ロシア人観」はとんでもないものでした。

粗暴、凶悪、ケンカ最強・・。

日本人が一人で街を歩いていると必ず追いはぎに遭うと思っていましたし、なるべく目をあわさないようにしようと心がけていました。

 
しかし、実際に触れ合ったロシア人を色々と思い返してみると、真っ先に浮かぶことが・・

 
実はかなり「親切」だったというです。

 
これはかなり意外に思う方が多いのではないかと思いますが事実です。

愛想のなさはたしかに散見されましたが、それでも言うほどヒドくはありません。

日本人でも愛想のない人間はたくさんいますし・・本当にそんなレベルです。




薄暗いローカルなレストランに行ったときも白熊みたいな従業員が丁寧にトイレまで案内してくれましたし、スーパーマーケットに行ったときも買ったものを入れる袋がわからずうろたえていたら後ろで待っていたロシア人が自分の代わりに袋を取ってくれたりしました。

また、他の方はおみやげ屋さんで間違った(少ない)つり銭を受け取りそれにまったく気づかず店を出ようとしたらしんですが、直前で呼び止められて足らずのつり銭を渡されたということらしいです。

他にもそういった「意外」な場面に出くわしましたが、そのたびに自分の中でのロシアのイメージが間違っていたと痛感いたしました。




素朴な疑問・・ロシア人は日本人をどのように見ているのか。

実は現地駐在員の方や、ガイドさんのお話を聞いたところ、ロシア人というのは日本人をかなり【リスペクト】しているとのことです。

さすがに嘘ではないかと疑っていたんですが、どうやら本当のようです。

街にあふれる「日本車の多さ」が何よりの証拠です。

あと、全般的にロシア人は日本製のモノに関してはかなりの信頼を置いているとのこと。

ガイドさんの話が本当かどうかはわかりませんが、ロシア製の物と日本製の物があれば、日本製の物を選ぶ人が多いでしょうとのこと。

(家電か自動車かそのあたりはよくわかりませんが・・)

やはり日本(人)のイメージとしては

『ハイテク』

『高性能』

『勤勉』

『マナーが良い』

・・おおむねこんな感じのようです。

コレは素直にうれしいですね。

私はてっきりロシア人というのは日本人を見つけたらカツアゲするのかとばかり思っていました。

ええ、全然違いました。すみません。笑

あと、日本食も密かなブームだそうです。

モスクワやサンクトでは寿司(もどき)のレストランを何件か見ました。

あと、小売店で見たのは日本の調味料です。

日本からの輸入品だと思いますが、日本で売ってる外装のまま売られていました。

どういう料理にどう使うのかは興味がありますね。




さて、この写真。

サンクトペテルブルクで撮った写真なんですが、日本ではまずあり得ない光景なんです。

何がかと言いますと、実はコレ・・・夜10時の写真です。

そうです。

6月下旬といえばロシアでは百夜なんです。

陽が沈むのが夜の11時くらいで3、4時間後の午前3時頃にはすでに空が明るいという怪現象が発生しておりました。笑

基本的にレストランやクラブなど若者が集まる店は朝まで営業しており、大変にぎやかです。

我々も負けじと明け方まで頑張りました(笑)




本旅で特にお世話になった春山さん(中)と井上さん(右)と中坪さん(写真撮影・・)

ありがとうございました!また海外視察ご一緒できればいいですね。




ではでは、お待ちかね。

街行く原動機のコーナー。

まずロシアでの自動車事情について概要を少しお話しておきたいと思います。

2013年現在、ロシアの年間自動車販売台数は約300万台・・をやや超えるあたりです。

ロシアの消費動向は原油・エネルギーの販売価格によってかなり影響を受けやすいと聞きます。

実際に、リーマンショック前には異常なほどの伸びを見せた自動車販売台数ですが、リーマンショック後の2009年には前年度の1/10に転がり落ちたというデータもあり、非常に乱高下が激しい市場でもあります。

自動車メーカーの方いわく、2014年のロシアのマーケット動向はズバリ「わからない」とのことです。

ロシアでの外国車メーカーのシェアは約74%。




ロシアでもっとも有名なローカルブランドといえばアフトワズ社が展開するLADA(ラーダ)です。

このアフトワズのLADAを含め、大小のロシアローカルメーカーが20年以上前には50%以上のシェアを占めていたんですが、現在は20%ほどまでシェアを落としています。

ちなみにこのアフトワズですが、2012年12月にルノー・日産の傘下にはいりました。

外国車のシェアをもっと詳しく書きますと・・

LADAの次にシェアが大きいのが韓国ヒュンダイで約5.6%。

日系の主なメーカーですと、トヨタ約5.1%。日産約5.0%となります。

シェアだけを見ますとバカなマスコミがよく言う韓国車の勢いが云々~というようなことを思われてしまうかもしれませんが、金額ベースで比べれば上級セグメントまで網羅している日系メーカーのほうがダントツで勝っています。

他の外国メーカーで特によく見たのがオペル、フォルクスワーゲン、フォード、ルノー、キア、でしょうか。









他にも日系ではホンダ、マツダ、スバル、意外にもスズキが健闘していたように思います。






日本の中古車はかなり多いです。






高級車では日系のレクサスを筆頭に、ベンツ、BMW、インフィニティとかなりの数が走っていました。




少数派はポルシェやジャガー、アストンマーチン等、多彩なラインナップを目撃。

1台だけですが、ランボルギーニのガヤルドも見ました。

ちなみにどんな車種にかかわらず、ロシアで一番人気のボディカラーはお分かりになりますか?




答えは【黒】です。

理由は『太陽光を吸収して車内が暖かくなるから』だそうです。

ガソリンは1リッターあたり約30ルーブル。

日本円で100円弱となります。




モスクワで見たガソリンスタンド【ウンコオイル】・・・。

さて、ここでロシアの変わった交通ルールをご紹介。

まず、街の車を見て気づいたのが、どの車も昼間なのにライトをつけている点です。

ロシアでは車を走らす際には必ずヘッドライトをつけなければならないそうです。

つけていなと罰金です。

安全のためでしょうか。

手動でつけているのか、イグニッションONで自動的に点灯する仕様になっているのかは不明です。

あと、事故です。

ロシアでは事故を起こした際に警察を呼ぶのですが、なんと警察が現場に到着するまで車やバイク等の【事故車】を動かしてはならない法律があるそうです。

動かすとこれまた罰金。

これが実は渋滞の一因にもなっています。

どんな街中でも警察が来るまでひたすら放置ですから正直、かなり迷惑だと思います。

しかも、警察署の近くで事故を起こした場合はすぐに駆けつけてくれますが、警察署から距離が離れている場合はひたすら待たなければなりません。

下手すると2時間待ちとかもあるようです。

これ、今の季節ならいいんですが、真冬の極寒だとどう対処するんでしょ。

警察来るまでに凍死する可能性もないような気がしますが・・。




続きましてバイクです。

ロシアを訪問する前は「寒いところにバイクの市場なんかあるわけないか・・」と半ば、バイクに関しては【諦めモード】だったんですが、いえいえ!とんでもない!

ロシアにもたくさんのバイクが走っていました。

これもかなり想定外の光景でした。

今回、ロシアのバイク事情に関しては詳しい情報は得られませんでしたので、詳細なデータはございません。

あくまで私の見聞のみでございます。














ビッグスクーター、ネイキッド、モタード(オフロード)、デュアルパーパス、アメリカンクルーザー、そしてスーパースポーツ・・等々かなり多彩な車種が活躍していました。

シティコミューターとしては小型のスクーター(多分125cc前後)も活躍しているようです。

もちろん日本製バイクが圧倒的です。体感9割は日本製でした。(海外勢はBMW、ハーレーダビッドソン、ドゥカティ・・とひととおり走っていました)







日本から中古車として輸入されたであろう「お下がりバイク」もチラホラ見ました。

ロシアにおいてはバイクは「アシ」というより、完全に「趣味」の要素が強いようです。

基本的にはカスタムしたバイクが多かったです。

しかも荒ぶるバイカーが多いようで、サンクトペテルブルクのイタリアンレストランでまったりくつろいでいた時も、目の前にある6車線の国道には爆音マフラーを換装したスーパースポーツがやたらめったら走っていました。




完全に【走り】に振ったバリバリのカスタム車両も見ましたし、街を走るバイクの台数、車種の多さ、バイクに対する考え方などは日本におけるバイク事情とかなり似ているような印象を受けました。



アメリカンクルーザーにおいては、やはりハーレーダビッドソンが多いのですが、日本市場のようにそこまでハーレー一辺倒ではありませんでした。








ヤマハのSTARシリーズ(ロードスター、レイダー)、ホンダ スティード、シャドウ、スズキのイントルーダー、M109、カワサキのバルカン1500などなど、お膝元の日本ではあまり見ることがないメトリッククルーザーがかなり走っていました。

ヤマハのウォーリアに乗っている私としては大変にうれしい光景でございます。

ちなみに純ロシア製のバイクといえば【ウラル】ですが・・・ロシアでは一台も見ませんでした。




最初にも書きましたが、今のロシアは気温がかなり高いです。

日本の気温を5℃引いたくらいの気温です。

バイクで走るにはかなり心地よい気温であることは間違いありません。

ただ、1年をとおして乗れるシーズンはかなり限定されるとは思います。

ロシアにおけるバイク市場の拡大は、新興国のような所得云々という次元での話ではなくもう一歩先の【新規ユーザーの開拓】【既存ユーザーの囲い込み】が課題となってくるのではないでしょうか。

さて、最後に今回訪問させていただいた現地の日系自動車メーカー様のお話で驚愕したことがありましたので、それをお話したいと思います。

現地工場では【X】(仮名)という車種を製造しています。

この【X】は、もちろん日本でも製造しており現役車種であります。

ロシアで製造しているこの【X】はエンジンを含め部品の約3割を現地調達、残りの部品を日本やヨーロッパから輸入して組み立てているという、いわゆるノックダウン生産の自動車です。

日本では200万円で買えるこの【X】(純日本製)ですが、現地ノックダウン生産の【X】はロシアの地ではいくらで販売されていると思いますか?

なんと100万ルーブル・・・日本円で約300万円です。

そう、純日本製ではない【X】ですが、日本で売っている価格より高いのです。

ビックリしました。

とっさに「そんな価格で出して売れるんですか?」と訊いてしまいました。

マネージャーの方は即答で「ハイ。売れます」との答え。

価格競争率は非常に高いとのことです。

これはその車種に限ったことではなく、日系メーカーの車種全般に言えることのなのだそうです。

日系メーカーが作る車種はそれだけ絶大なる信頼を得ているということです。

思い起こせば4年前・・私は日本から遠く離れたドバイの地で体感シェア7割が日本車という光景を目の当たりにしました。

灼熱のアラブ・・自動車の故障は「死」に繋がります。

ロシアもまた同じです。

マイナス30℃の広大な土地で車が故障すれば・・生身の人間は死にます。

死なないにしろ命にかかわります。

極限の地において何に価値を見出すか・・ロシアとアラブ、対極の極地で日本車が支持されているという現実はある意味でもっとも価値のある【名誉】と言っても過言ではありません。

ロシア人さん、これからも日本車を御贔屓に。




さて、ロシア見聞録いかがだったでしょうか。

ほんのちょっとロシアに対するイメージは変わったのではないでしょうか?

ヨーロッパと北米の良いとこ取りという感じで、旧共産圏の薄暗い雰囲気はまるで感じられなかったです。

行く前の印象と行った後での感想のギャップで言えば、歴代行った国の中ではダントツで良かったです。

しかし、我々日本人のロシア観がなぜにこうも悪いのか、色々考えた結果・・・




やっぱり『ロッキー4』の影響なんじゃ・・と思ったのは私だけでしょうか。

物事は噂やイメージだけで判断するのではなく、自分の目で直に確かめることがなにより大切だということを改めて感じた次第です。

機会があれば日本の中古車が幅を利かせているハバロフスクやウラジオストクなどロシア極東地域にも行きたいと思います。

これにて、ロシア見聞録終焉です。

ご清聴ありがとうございました!




モスクワ 赤の広場クレムリンにて。(『クレムリン』とは特定の建物を意味するのではなく『城塞』という意味だそうです。
撮影―㈱マエガワモールド 前川さん Thankyou!)

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