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2013.08.21

夜明けのインディア 後編

 いや~・・・

スミマセン(笑)

実は仕事のトラブルでブログどころではなかったというのが言い訳です。

もうこのまま後編が立ち消えになるのではないかというくらいに、それどころではなかったです。

そんなことを言っている間に、実は6月の末から7月にかけてこれまた大阪府工業協会様企画の【ロシア日系企業視察】に行ってきました。

本当に大忙しです。

もちろんインド編の次はロシア編が控えているわけで.... 簡潔ですみませんが、とりあえずインド編最終回です。




さて、インドのバイク事情ですね。 それに絡めて、前編、中編では書けなかったこともまとめて書いていきたいと思います。

中間層が爆発的に増え、自動車の数が増えつつあるといっても、やはりインドの町で見かけるのは車よりバイクの数が圧倒的に多いです。

悪路が多い広大な土地を自転車で移動するのはさすがに距離的、体力的に限界があります。

自動車は年収の何倍もするからとてもじゃないけど手が出ません。

電車はいつ何時、駅に到着するかわかりません。




なので、インド人が最初に目標とするのが【バイク】です。

途上国で『バイク』といえばだいたい100cc前後のタイプをさします。(50ccは日本以外ではまったく見ません。)

これがインドではだいたい7万円くらいします。

現地一般ワーカーの所得から算出しますと、おおまかですが、給料の6か月分に相当します。

おいそれと手が出るものではありませんので、もちろん月賦でバイクを買うわけです。つまりローンです。

バイクを手に入れたら、より給料のいい所へ、より遠くまで足を伸ばすことができます。 豊かになるための第一歩はバイクから始まるということですね。




さて、インドのバイク事情をもう少し視野を広げて見てみましょう。

そもそもインドにはアシ用のバイク以外存在するのか・・と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実際のところどうなんでしょう。

実は、インドにもまだまだ小さいですが、『アシ以上』のバイク市場というものはちゃんと存在します。

例えば、今回訪問させていただきましたホンダ様を例に出してみますと・・

ラインナップとしては110cc、125cc、150cc、250ccという4種類の排気量を生産しています。

メインで製造しているのは110ccと125ccになります。

趣味的要素が濃いラインはというとやはり150cc以上。 【CBR150R】が約18万円、【CBR250R】が約23万円だそうです。
 
ちなみにCBR250Rの生産台数は年間通しても約1万台ということです。 これはホンダのインド工場での全生産台数の内の0.5%以下という数字です。 市場としてはまだまだ未成熟といえ
ます。

そしてそのCBR250Rとは少し趣が違いますが同じカテゴリーとして競合するのが、【ロイヤルエンフィールド】です。

さすが、生まれ故郷だけあってインドではそこそこの数を目撃しました。

インドでは(というか、世界共通?)300ccと500ccのラインナップがあります。

インドの街を俳諧している時に、小型二輪とは一味違う歯切れのよいサウンドが聞こえたならばそれはまさにエンフィールドといって間違いないでしょう。

日本では珍車扱いでほとんど見ることはありませんが・・なかなかイイ味出していました。 価格帯はホンダCBR250Rと同価格~それ以上と高めとなります。

さすがにロイヤルエンフィールドともなるとボコボコの状態で乗っている人はほぼ皆無で、小奇麗な装いの小金持ち風なライダーが多いように感じました。

ではさらに「上」の超高額バイクはどうでしょう。




実は本視察でダイキン工業㈱様に訪問するその道中で、ハーレーダビッドソンのロゴがデカデカと書かれた巨大な倉庫らしき建物を発見しました。

「おお!!こんなところにハーレーが・・!(笑)」 ハーレーダビッドソンといえば泣く子も黙る高級バイクの代名詞です。

至ってローテクなV型二気筒のエンジンから放たれる独特の排気音と荒削りなエンジンの鼓動感に魅了されるファンは世界中に存在します。

しかし・・・日本でも100万円以上するようなリッチなバイクがインドで走っているんでしょうか。

私がいる間はインドでハーレーは1度も見ませんでした。

しかし、インドにもハーレーはあるんですね。 例えば日本でもおなじみの【スポーツスター】なんかはすでにインド国内で組み立てされています。

この現地組み立て方式は、完成品を本国アメリカから輸入した場合に比べ、関税を30%~40%低く抑えられるようでして、ハーレー社は今後もインド現地組み立ての車種を増やしていくとのこと。

今後は周辺の途上国などにもインド製(組み立て)ハーレーが輸出されていくのでしょう。

近い将来、インド製ハーレーが日本市場にやってくるかもしれません。(それはそれでなんか違う気がしますが・・)




ちなみにインドにおける大型二輪(750cc以上)の市場はまだまだ未熟で、販売台数も2012年の4月~9月期を見ましたら805台と、人口比率からすればとても小さなものです。

しかし、先にも言いましたとおり成長率がもの凄く、2012年の伸び率は前年比77%という驚異的なものです。

これから先、成長率はうなぎのぼりになるのは言うまでもありません。

この市場拡大に乗り遅れまいと、前述のハーレーしかり、日本のメーカー、ドイツ(BMW)、イタリア(ドカティ)と、次々にインド市場に本腰を入れつつあります。

また、イギリスのトライアンフも活性化するインド市場を取り込もうと人気車種の【ボンネビル】を販売する計画だそうです。

 
ちなみに日本で売られている【CBR250R】はタイ製で、それに比べるとインド版の価格はタイ製の半額以下です。

これがいわゆる『インド仕様』というもので、二輪や自動車で共通していえることなのです。

例えば、樹脂やゴム系の部品においてはコストダウンを図るために品質を厳しく管理していません。 真冬でも0℃を下回ることがないインドでは対候設計を日本より「ユルめ」に設定して製造しています。

わかりやすく言えば、日本仕様では「-40℃~100℃」という幅広い温度帯に耐えたれるように設計されているパーツを、インド仕様においては「0℃~100℃」で設計されているということです。

こういった「現地にあわせた仕様」が商品単体のあらゆるところにちりばめられ、コストダウンにつながっているのです。

そりゃもちろん、見た目が日本のものとまったく同じ車種であっても・・断然日本製よりかは品質は劣ります。

しかし、途上国の人にとって車の故障は日常茶飯事。

壊れたら自分で直すのが基本です。

ちょっとした故障などあまり気にしないのがインド人です。




2012年の日本国内の自動車販売台数は536万台(軽自動車含む)でした。 一方、二輪の新車販売台数は250cc以下のすべての区分を併せても40万台弱という数字です。

単価においては圧倒的な価格の差があるのにも関わらずです。

この数字を見るだけでも、ここ日本においては単なるアシ用として二輪を買う人などほとんど限定的だといわざるを得ません。

先進国において自動車は価格的に【高嶺の花】ではないですし、安全性、積載性、身体的負担を考えても自動車1台を買ったほうがよほど実用的です。




「バイクが趣味だ」といえる人というのは世界広しといえども実はとても少数派。 先進国の、しかも限定された人といっても過言ではありません。

逆に言えば、それ以外の人はほとんどすべて「バイク=移動用のアシ」という人たちになります。 ここの層をいかに攻めていくかで、市場のパワーバランスが決まるといっても過言ではありません。

やがてその国の人々がアシ用バイクから趣味的バイクに移行したとき、過去の結果がいきてくるでしょう。

「俺は昔からこのメーカーのバイクが好きなんだ」と。

インド人の傾向として、実は車にしろバイクにしろ最新のモデルに飛びつくという例は一般的ではなく、5年・10年と安定して人気がある車種を選ぶ傾向にあるそうです。

ここがインド市場を攻める上で非常に難しいところで、1年や2年の短期間ではなかなか現地のニーズに合っているかどうかという判断がしづらいということです。

『安くて高品質だがブランド力が弱い』と言われる日本のメーカーはこのインド市場の特性をよく理解した上で、安定したブランド力を確立していかなければなりません。

その代わり、一度育った芽は確実に大きくなります。 インド人のように焦らずゆっくりと育てることが重要です。


 
さて、いかがだったでしょうか?インド視察記。

インドは歴史が古く、その長い歴史のなかで形成され昇華してきた独自の文化・習慣が現代においても根強く残っています。

それが良いことに働くこともあれば、負のほうへ引っ張られていくこともあり、これがインドにおける【諸刃の剣】になっていることは間違いありません。

インドが先進的な国を目指すのであれば、負の部分については一つ一つ変えていかなければなりません。 それらを実行し、変えていくのは他の誰でもないインドに住む人々です。

あらゆる課題をすべて克服した時、インドの夜明けは今より一層輝きを増すことになるでしょう。

以上、イッセイのインド見聞録、これにて終焉です。

ご清聴ありがとうございました。


 
 
タージマハルにて。
 
次回はロシア視察記です。
8月中にアップすることをお約束します(笑)
 
 
 
 
イッセイ

2013.04.07

夜明けのインディア 中編



皆さんこんにちは。

遅くなりすみませんでした。
なんと!あまりに時間がかかりすぎて急遽予定を変更。
「中編」なる区切りを勝手に作っちゃいました(笑)
だって・・まとめるのヘタクソなんですもの・・
書きたいこと全部書いてたら多分、後編UPできるの8年後くらいになると思います(笑)

実は、花粉症と呼吸困難でもはや死に掛け寸前です。
先週は花粉症がひどすぎて夜寝られずそのまま風邪を引くという醜態を晒しました。
「頭が痛い・・でも、もう少しでブログができる。アップせねば!いや、どーせ、誰も読んでいない。いや、誰か一人でも読んでくれている人がいるのならその人のためにアップせねば。でも頭が痛い。割れそうだ。だいたい、なんでオレはこんなに虚弱なんだ。昔はあんなに腕白だったのに!悔しい・・!」
布団のなかでそんな戯言を念仏のように唱えていると、ふと気がつきました。

もうすぐ、帰国して1ヶ月が経つではないかと・・。

自分のウスノロさ加減に嫌気がさしたところで、あとは各記事を切って張ってつなげて~写真を載せて~の作業だったらできるではないかと思い、なんとかこの中編を完成させることができました。
厚く御礼申し上げます。
・・というわけで、後編は次回に持ち越しということで全3回にてお届けいたします。

今回は【車】を中心にお話を進めていきます。

さあ~イッセイがインドで見てきた車事情はどんなものだったか!

インド視察記 中編~はじまりはじまり~



 

まず最初に、お金の表記について書いておきたいことがあります。
これから書いていく車やバイクの話をはじめ、お金のことはすべて円に換算してお話を進めていきたいと思います。
日本での物価や給与と比較がしやすく、感覚的にわかりやすいからです。
一応、参考までに2013年現在のレートは1ルピー=約1.75円です。
私は現地でお金を計算するとき、本当におおまかに知りたい場合は単純に、表記の金額に2倍していました(笑)

先に行く前にここで、インド人が一ヶ月に得る賃金のベースを決めておきましょう。
中堅日系企業のキャリア1年目のワーカーの月給が約7,000ルピー=12,250円だそうです。
しかし、有能なベテランエンジニアは月給10万ルピー=175,000円というツワモノもいるようで、給与の平均ベースがなかなか掴みづらいというのも事実(笑)
わかりやすいように私と同じような年齢で架空の人物を設定して決めてみましょう。




● 中堅日系企業勤務、ライン作業従事、キャリア4年目、30歳、月給20,000円(11,500ルピー)。
1ヶ月の給料が2万円。
・・・・どうでしょうか。とてもわかりやすくなったと思います。
これをベースに現地の物価感覚を体感していただければと思います。

物価はこれまた「約」ですが、だいたい日本の1/8くらいだと思っていただければいいでしょう。
高いと感じるか、安いと感じるかはアナタ次第です(笑)


 
さて、イッセイが見た・聞いた~の話の前に、インドにおける自動車産業の基本情報をここに書いておきます。
インド自動車工業会が発表したデータによりますと、2012年度のインドでの国内新車販売台数(商用車含)は358万7260台だそうです。
一部では「2012年中に400万台の大台を突破する!」と言われていましたが・・少し足らずでしたね。
インド自動車市場は2010年には29%の驚異的な伸びを発揮したのですが、その年にインド中央銀行がインフレ対策で利上げをしローン金利が上昇しまくったのが新車販売の鈍化に影響したと思われます。
あと、先に述べましたガソリン価格の高騰ですね。

国別の新車販売台数ランキングを見ますと

1位 中国
2位 アメリカ
3位 日本
4位 ブラジル
5位 インド

・・ということで、ドイツが陥落し、ついにインドが5位入賞です。
何がスゴイかって、不景気だの~エコだの~人口縮小だの~車離れだの~と、散々言われている日本がなんとまだ3位にいる点です。
普通にビックリしました(笑)



 
あまり情報が出てこないのですが、インドの中古車市場はどうなのでしょう。
これは大手による中古車販売のインフラが未整備なため、グレーな部分がまだまだ多いようです。
中古車販売も手がける自動車製造メーカーのマヒンドラ&マヒンドラ(M&M)によりますと、中古車の取引形態は、インターネットなどを通じての個人売買が約60%、ローカルの中小企業が約30%、大手が手がける中古車販売シェアは10%未満と、大手による販売体制はまだまだ未発達ということがわかります。
日本の中古車販売会社さんはインドに活路を見出してみてはいかがでしょうか。

さて、インドでの乗用車市場のシェアNo1はどのメーカーだかご存知でしょうか。
トヨタ・・
フォード・・
フォルクスワーゲン・・
それとも地元メーカーのタタでしょうか。
う~ん、違います。



 
実は【スズキ】です。
これ本当。


地元では【マルチスズキ】というブランド名で浸透していますが、スズキという会社に変わりはありません。
インドにおけるマルチスズキのシェアはなんと40%!
インドに詳しい方なら別に驚くほどのことではないんですが、インドの自動車事情をまったく知らない方ですと「日本の軽四メーカーがインドでトップなんてあり得ない」とか思われるかもしれません。
でも、本当です。
その理由は、本ブログの最後にてお話ししましょう。

この【マルチスズキ】が約40%のシェアを誇り、それに続くのは地元インドの【タタモータース】と韓国【ヒュンダイモーターインディア】で、この2社がだいたい15%ずつのシェアを持っています。
以下、【マヒンドラ&マヒンドラ】(印)約10%、【トヨタ・キルロスカ・モーター】(日)約5%、GM(米)とフォード(米)が各3%、以下、フォルクスワーゲン(独)、ホンダ(日)、ルノー日産・・と続きます。

ここインドにおけるマルチスズキの存在感は圧倒的です。
スズキ率ハンパなし!(笑)



アルト
 
ワゴンR
 
スイフト
 
他、日本ブランドでよく見たのは・・



トヨタ車・・・・エティオス、イノーバ(ともに新興国戦略車)、カムリ(泣く子も黙るトヨタ最強の世界戦略車) 


ホンダ車・・・・CITY(新興国向け。昔日本で走ってたあれとはまったく違う)



ミツビシ車・・・・ランサー(新・旧)、アウトランダー
・・と続きます。
日産車は現行のマイクラ(マーチ)を3台ほど見ただけです。
マツダはバスを1台見ました。(これは『SWARAJ MAZDA』という現地との合弁会社。合弁解消後も『MAZDA』の名はなぜか残っているという・・)

高級外車はどうでしょうか。
3年前にインドに行かれた方のお話ですと「当時は小型車しか走っていなかった。高級外車などまったく見なかった」とのことですが、やはり成長著しいインドですから、変化がないわけがありません。
そこそこの数を目撃しました。




ドイツ製高級外車に関しては体感的には【BMW】が多かったような気がします。
それより下に【アウディ】と【メルセデスベンツ】が同じくらいの比率でしょうか。
1台だけですが、デリーの中心部で【ポルシェ】の カイエンも見ました。
我が日本勢の高級外車はどうでしょう。
真っ先に思い浮かぶのが【レクサス】です。
しかし、これがまったく走っていないんですね。
滞在中1台も見ませんでした。。
後で調べましたら、インドでレクサスブランドを展開したのはなんと2013年になってから。
う~ん、そりゃ見るわけがない・・。
しかし、インドにおいても『日本ブランド=高品質』というイメージは揺るぎないもの。
これから先、富裕層を中心にブランドが浸透していけば、街を走るレクサスも格段に増えていくことでしょう。
(もちろんと言ってはなんですが、【インフィニティ】や【アキュラ】もまったく見ませんでした)




ちなみにインドにおける高級車の輸入関税は75%。(800cc以上の二輪車には60%)
近年では、高額な輸入関税を避けるために、なるべく現地で組み立てを行い販売価格を安く抑えたいと考えるメーカーが相次いで現地生産(組み立て)に切り替えているようです。
 



そしてインドの街でひときわ異彩を放つこのクラシックカーはなんでしょう。
これはヒンドゥスタンモータースの【アンバサダー】です。
実はマルチスズキが席巻する以前はこのアンバサダーこそがインドにおける国民車でした。
(元々はイギリスのモーリスオックスフォードのライセンス生産車)

ヒンドゥスタンモータースの地元、コルカタではまだ多数走っているそうです。
今回訪問したデリーとチェンナイではそれなりの数を見ましたが、それでも10年ほど前に比べると圧倒的に台数は減ってきているようです。

なんと・・・!現役生産車(笑)
このアンバサダーも後半で少しだけ登場します。

あと、2009年に10万ルピー(175,000円)という激安価格で登場し、世界中を驚かせたタタモータースの【ナノ】はインドのいたるところで・・
・・・・嘘です。

実はまったく走っていませんでした(笑)
滞在中見たのは本当に1台だけでした。
発売直後から不具合が頻発したり、工場の稼動がうまくいかず生産が進まなかったりと、話題とは裏腹に販売が思うように軌道に乗らなかったのが原因だといわれています。
しかし、根本はもっと違うところにあるような気がしてなりません。
自動車を所有することが一種のステータスであるインドでは、【ナノ】はあまりにも「下」を見すぎた車だったのではないでしょうか。
実用性重視といえど、プライドの高いインド人には少し受け入れがたいパッケージングだったのは間違いないです。
「そこまで安い車を買うくらいなら・・」という気持ちがあったのだと思います。
現在【ナノ】は装備やバリエーションを増やしながらしぶとく販売されています。
また、周辺のスリランカやネパールにも輸出を始め、新たな販売網を構築中です。
インドでの販売は成功したとはとても言いがたいものです。
しかし、【超低価格車】という自動車のあり方そのものを根本から覆そうとした思想は評価に値するでしょう。




ちなみにインドの「ザ・国民車」ことスズキの【マルチ800】ですが、これが約38万円からのお値段です。
【スイフト】で約50万円から。
もちろん新車での価格です。
メチャクチャ安いですね。
日本ではあり得ない価格です。
「お!おのれ~スズキめ!インドが好きだからってそのようなひいきは許さんぞ~!」
と、お怒りになるのはお門違いです。
なぜなら、安いのには理由があるからです。
これが所謂『インド仕様』というものです。
コストカットの賜物ですね。
では、どういうところにコストカットが施されているのか・・
それは次回、後編でお話しましょう。
 

さて、交通マナーに関しても少しふれておきましょう。
皆さん、だいたいの予想はつくと思いますが・・・割とメチャクチャです(笑)
信号の遵守意識はまだある方ですが、それでも信号のないところになるとわれ先にと、車・バイクが入り乱れるのはもはや日常の一風景でしかありません。
ダイキン工業㈱様を訪問する際、地方の狭い道をバスで走っていたのですがこのチャーターバスの運転手がこれまたメチャクチャで、対面二車線の道路なのに前を走る車が遅いと判断するや否や何の迷いもなく追い越しを決行しまくるのです。
対向車線(真正面)から大型のバスやトレーラーがこっちに向かって迫ってくる光景は、気絶寸前の地獄絵図です。
車内のあちこちで「危ないぶないぶないぶない!!(汗)」「あああ~!コレぶつかるでぇぁあ~!!(願)」「ちょ~おお!!死ぬ死ぬぅう~!!(涙)」という絶叫がこだまします。
しかも今回、移動に使ったバスはインド【タタ】製のバスだったのですが、サスペンションが明らかに異常でございまして・・。
まるで衝撃を吸収している気配がありません。
まさにリジッドサスです。
デコボコの道に突入した際には車体の傾き加減と底突きの衝撃により、車体がバラバラになるんではないかとハラハラしました。
そんな状況でも平気で横をすり抜けていく車が多数いるわけで。
本当に事故を起こさないのが不思議なくらいです。
移動の2時間半の間、クラクションが鳴りっぱなしだったのは言うまでもありません。
 

さて、ガソリン事情はどんな感じなのか・・。
実は、インドのガソリン価格は想像以上に高く、1リッター120円(70ルピー)もします。
物価水準を考えると鬼のような価格です。
日本のガソリンよりちょっと安いくらいですよね・・。
我々の感覚からするとガソリン1リッターを買うのに1,000円ほど払っている計算になります。
ルピー安と世界的な原油相場の上昇という日本と同じような状況がガソリン価格上昇の原因となっているようです。
これだけガソリンが高いとなると・・。
ハイ、そのとおり。ガソリンより価格が安い軽油を燃料とする「ディーゼル車」の存在感が大きくなってきているようです。
ローカルメーカー&外資メーカー各社は去年あたりから「これからディーゼル車両の生産に力を入れていく」と軒並み意気込んでいます。
ちなみにインドでの軽油価格はガソリン価格の約半分。
日本ではガソリン価格に対して軽油価格はリッターあたり20円ほどしか安くないことを考えると、日本以上にディーゼル車のメリットは大きいのではないでしょうか。
ディーゼル車の市場を開拓するメリットは十分にあります。
デリーでよく見たのが写真の「INDIAN OIL」というガソリンスタンドでした。



 
本視察での移動は大半がバスでの移動でした。
実は、乗用車以外の、トラック、バス、タクシーに関しては登録地以外の州に入る際にはTAX(税金)を払わなければならないようです。
言ってしまえば【関所】みたいなものです。
州の境目には料金所があり、お金を払うまでに10分ほど待たされます。
どれほどの金額か詳しくはわかりませんが、入る州によって金額は違うとのこと。
お金を払うと領収書兼チケットが手渡されるので、それを見えるところに提示しておきます。
料金所といってもゲートがあるわけではなく、地元ナンバーの車と混在して通過するのでそのまま通過してもわからないような気がしますが・・。
ちなみにお金を払わないで走っている・・つまり警察に止められた際にチケットを見せることができない場合どうなるか。
車はその場で即【使用禁止】になるそうです。(それって・・帰りは徒歩?)
 

ではここで、インドにおいてなぜスズキがこれほどまでに幅を利かせられることになったのか!
その理由をお話しましょう。
インドにおけるスズキの偉大さが身に沁みてわかるそんな物語です。
まず、インドの自動車産業のあらすじはどんなものであるか・・!
知っている方も、あんまり知らない方も、全然興味ない方も、あらためておさらいしていきましょう。

インドの自動車産業の道は1970年代後半、インド5代目の首相 インディラ・ガンジー氏の【国民車構想】政策により開拓されました。
(ちなみにこのインディラ氏・・女性です。ちなみに皆さんよく知るマハトマ・ガンジーとは何の血縁もない)

それ以前、1970年代よりはるか昔の1930年代から実はインドではGMとフォードがノックダウン方式にて自動車生産を行っていました。
1940年代にはインドの財閥系メーカーも参入し、自動車国産化も幕を開けました
しかし、社会主義体制が色濃い時代、インドにある自動車メーカーは外資メーカーや国内メーカーを問わずインド国内で自由に自動車の製造・販売を行うことができませんでした。
インド国内にある外資・国内自動車メーカーは、インド政府から出向してくる官僚や役人の指示のもと、ありきたりな乗用車を製造しているに過ぎませんでした。
(GMとフォードは1950年代に撤退。)
1970年代のインドを象徴する乗用車といえば【ヒンドゥスタンモータース】の『アンバサダー』(もちろんネスカフェは全然関係ない)と、プレミアオートモービルスの『パドミニ』です。
この2車種はインド国内で爆発的に売れました。
爆発的に売れたというより、消去法で売れたとでもいいましょうか。
この頃のインド自動車産業は自国産業を保護するという名目で、外資系メーカーの締め出し、完成車の輸入禁止や新規・既存事業のライセンス規制など、非常に閉鎖的な政策をとっていました。
上記2車種が集中的に売れた理由は、インド国内にあった自国6メーカーのうちの乗用車を生産していたのが上記2メーカー(ヒンドゥスタンとプレミアオートモービル)だけだったからです。
そして、売れたのはイイんですが、ほとんどモデルチェンジもせず長期間ロングセールであり続けたため、インド自動車産業そのものが世界の自動車最先端技術から大きく引き離されるという「致命傷」にもなりました。

小型で燃費がよく品質の安定した自動車を作りたい!というインディラ首相の指示のもとインド政府は、当時、高品質な乗用車の輸出でアメリカ政府を半泣きにさせていた日本の自動車メーカー各社に対してインド進出を打診しました。
しかし、バブル景気前夜の80年代前半、日本企業が海外市場として目を向ける先は常に北米が中心でした。
インドのような未開の後進国に進出などという考えは異端も異端。
「イ、インドに進出て・・・そんなアホなメーカーおるわけないやろ」
誰もがそう思ったに違いありません。
しかし、自動車メーカー各社が無視を決め込む中、ただ一社、名乗りを上げる企業がありました。


それがスズキだったのです。
これにはスズキの内部からもかなりの反対意見があったようです。

1982年、インドの腐った自動車産業にスズキが斬りこみを敢行していきます。
とは言っても、社会主義体制がはびこる当時のインドで、スズキが単独で自動車生産をすることは許されませんでした。
インド政府から『提携先』として指定されたのが【マルチ ウドヨグ】という現地自動車メーカーです。
この【マルチ ウドヨグ】という会社、実はインディラ首相の次男、サンジャイ・ガンジー氏によって1977年に設立された自動車メーカーです。
ここにスズキが出資するという形で自動車生産がスタートしました。(ちなみに当時スズキの出資比率は26%)
しかし、事実上の国営企業ということで舵取りは常に政府側。
社長には自動車の「じ」も知らない官僚が就任するわけです。
自動車生産の「プロ」であるスズキ側は相当イライラしたに違いありません。
そんな中でも1984年に発売した【マルチ800】(2代目のスズキアルトをベースに800ccまで排気量をアップ)は低価格・高品質もさることながらインドの道路・交通事情にマッチ、マルチ ウドヨグが持つ大規模な販売網も手伝ってインド小型車市場においては敵なしの寡占状態を誇りました。
その後も、国営企業という傘のもと、マルチウドヨグ(&スズキ)は小型車生産では常にインド市場においてトップを維持してきました。

しかし、1991年、インド政府が経済開放政策に切り替えたことによって『マルチ ウドヨグ帝国』に変化が起こります。
それまで80%以上のシェアを誇っていた小型車市場に外資の自動車メーカーがなだれ込んで来たのです。
インド市場をめぐっての自動車メーカー同士の熾烈な競争が始まりました。
1992年、スズキはマルチウドヨグへの出資比率を50%まで引き上げました。
・・が、相変わらず『国が経営するマルチ ウドヨグ』という枠にハメられたままのスズキはインド政府の干渉によって思うように経営の舵取りができません。
そして、不適格極まる役人が政府の指示により「社長」に決まってしまうという事態を目の当たりにした時、スズキの堪忍袋の緒がついにブチ切れました。
「マルチウドヨグ(インド政府)とスズキの双方が承認した人物でないと社長には抜擢できない」という内容を突きつけ、裁判をおこしました。
この件は結局、国際的な裁判の場まで持ち込まれることになり、インド政府側が折れるということで決着がつきました。
またスズキの戦いはインド政府だけではありませんでした。
社会主義の歴史があるインドでは労働組合が非常に強い力を持っています。
外資系の企業は長年、組合が巻き起こす賃金見直し要求によるストライキなどに悩まされていました。
ある時は暴力に訴え、またある時は政府の役人を使い、組合はあの手この手で企業を恫喝しました。
しかし、スズキは労組による不当な要求は一切受け付けませんでした。
会社が向かうべき方向に逆らう者は一切雇わないと。
インドでのスズキの歴史は、インドにはびこる政治腐敗や労働闘争との戦いでもあったのです。
インド政府に対するスズキの姿勢は、行き先不透明・暗雲立ち込めるインド社会全体にとっても大きな衝撃を与えました。
「これが日本企業の経営理念か」と・・
1999年には社名を【マルチ ウドヨグ】から【マルチスズキ】に変更。
2002年には株式の半数以上を手に入れ、スズキ株式会社(日本)の完全子会社化としました。
・・とまあ、そういう歴史があるわけでして、インドにとってやはりマルチスズキはちょっと特別な存在。
先にも述べましたが、現在、インドの乗用車市場におけるマルチスズキのシェアはおおむね40%前後です。
インドの自動車工業史はスズキと共に構築してきたといってももはや過言ではありません。


そんなスズキの血と汗の重みを理解すれば、なおいっそう街を駆るスズキの車が勇ましく見えてしまうものです。

高級外車を相手に豪快な割り込みを敢行できるのもスズキの歴史が成せる業・・!

まさに小さな巨人。



 
さて、中編の最後に・・

新興国を中心に現在【超低価格車】というものが存在感を増してきています。
先に登場しましたタタの【ナノ】をキッカケに、新興国をターゲットにしている自動車メーカー各社も急速に意識が変わってきました。

自動車作りは日本のお家芸です。
日本が得意とするのは主に「真ん中」あたりの車です。
つまり「超」がつかない低価格から、「超」がつかない高級まで。

もう少し頑張れば一番下から一番上まですべての層で日本は活躍できます。

東南アジアでは今でも日本車のシェアが8割を超える地域もあります。

ピンチ、ピンチといわれる日本企業ですが、まだまだ有利な立場であることに変わりはありません。
今が踏ん張り時ということですね。

しかし、今から30年先、世界の自動車勢力図は今とは大きく違うものになっていると私は思います。

インドの次は南米でしょうか。

そしてその次はアフリカでしょうか。

そして、世界中の人々が【中間層】に移行した時、その先にはどのような市場が待ち受けているのでしょうか。

私のような凡人には想像もつきません。


 
 
もしかしたらそんな凡人の想像を超越して・・・車は全部空を浮いているのかも知れませんね。
 
次回、後編はインドの二輪事情見聞録を書きます。

例によって気長にまったりとお待ちいただければと思います。

ではでは~


 
イッセイ

2013.03.16

夜明けのインディア 前編

 さて、今回は大阪府工業協会様の企画【インド 工場&市場視察研修】に行ってまいりました。

 
「インド」って聞くと「カレー」とか「象」とか「ヨガ」とかいろんな言葉を連想するわけですが、
経済全般に関するイメージっていうのはなぜかあまり頭に浮かんできません。
どちらかといえば田園風景が一面に広がっている農業国といったイメージのほうが強いような気がします。
しかし、昨今の中国の反日運動に見るチャイナリスクの露呈、そして12億の人口を抱える巨大市場という観点から、急速に日本企業が進出を加速させている国であります。
いや、日本だけではありません。
いまや世界中の国から注目を浴びているのです。


貧富の格差、カースト制度の名残、民族間でのあらゆる障壁・・インドにはさまざまな問題がありますがそれらを丸呑みにしながらひたすら猛突進しています。
とにかくものすごいパワーを感じました。



初日に南のチェンナイに降り立ってから3日目には飛行機でデリーまで移動。
間間はひたすら悪路の走行。
5時・6時起床は当たり前、車での移動だけでも1日に平均300キロという過酷極まりない視察でしたが、見るものすべてがファンタスティックでエキサイティングで、なによりクレイジーでした。
今回、お邪魔させていただきました日系企業ですが

・㈱ヨロズ 様 (自動車用サスペンション、その他関連部品)
・㈱ミツバ 様 (二輪・四輪用ジェネレーター、ファンモーター)
・ダイキン工業㈱ 様 (空調設備)
・パナソニック㈱ 様 (空調設備、洗濯機、溶接機)
・本田技研工業㈱ 様 (小型二輪車)

以上、5社です。

本ブログでは見学させていただきました個々の企業様についての詳しい報告はしません。
工場内は撮影禁止ですから、どこの設備がどうだったとか説明のしようがありませんし、大々的に公表するような内容ではないデータもあります。

現地ガイドさんや、各企業様で聞かせていただきました現地の習慣や特徴などを総合的に書いていきたいと思います。
企業視察レポートではなく、あくまでイッセイ個人が見た・聞いたの「インド珍道中」というノリで読んでいただければと思います。
「なんじゃ~!ジェ○ロの報告書のほうがよっぽど出来がエエやないか!」といった当たり前のクレームはカンベンしてください(笑)




あ、自動車・バイク関連については当社も大いに関係ありますし、個人的な趣味も絡んでおりますので、そこだけは見た・訊いたの内容も大きく絡めて書きたいと思います(笑)

さて~、イッセイはインドで何を見てきたのか~!

イッセイのインドテキトー見聞録はじまりはじまり~!
 


 
インド共和国――
改めておさらいしていきましょう。
人口は12億人と中国に次ぐ世界第2位の大国です。
毎年、爆発的に人口が増加しており、一人っ子政策を布いている中国を抜かして人口世界1位になるのはもはや時間の問題です。




国土は日本の面積の約8倍です。
赤道近くの暑い国というイメージはおおむね間違ってはいませんが、インドの北部に位置するデリーでは冬になると5℃くらいまで気温が下がるという意外な一面もあります。

州をまたぐとまったく違う言葉が話されることもあり「インドはひとつの国にしてさまざまな国が存在する」とまで言われます。
公用語はヒンディー語。・・ですが、ベンガル語やタミル語など、インド全土にわたって数十種類の「公用語」が存在するのも忘れてはなりません。
イギリス植民地時代の名残から英語を話す人も大多数存在します。
街の看板には英語表記がとても多いように感じました。
一時期ITの分野で世界中で幅を利かせたのも、英語を武器に進出していったからですね。




人口に占める各宗教の割合はヒンズー教が約80%、イスラム教が約15%、他、少数派の宗教としてはキリスト教、シーク教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教の信者がいます。
我々日本人は「インド=仏教発祥の地」としてのイメージが強いですが、インドにおける仏教徒はなんと1%しかいません。
これはイスラム教の侵攻により13世紀頃にはインドの仏教はほぼ壊滅状態になったからだといわれてます。(イスラム教徒ってこんなのばっか・・笑)
ちなみに本場インドではほとんど消えてしまった仏教ですが、我が国をはじめインド周辺国では今も仏教の源流は息づいています。

本旅の現地ガイド、シャシーさん(以下、頻繁に登場)いわく「どんな都会や地方に行ってもスゴイ商売をしているのはジャイナ教の人」だそうです。

ジャイナ教。日本ではほとんど聞かない宗教です。
ジャイナ教はあらゆる殺生を禁ずるもので、信者は野菜すらほとんど口にしません。
断食の果てに死ぬことも多々あるようで、そのような究極の精神を築くことで常人には見えないものが見えてくるのだとか。
なんと後で調べてビックリ!インド人口の0.5%に満たないジャイナ教徒がインドの50%の富を有しているというデータがあるそうです。
農耕は畑を耕す際に虫を殺す恐れがあるので、必然的に商業や金融の職に就く人が多いからでしょう。
いまや、金融業がお家芸のユダヤ人を駆逐する勢いでジャイナ教徒は世界に進出しているようです。
ジャイナ教の戒律は【不殺生、真理、盗むな、執着するな、貞節】の5つ。
見えない虫を殺してしまわないように口に布を巻き、日没から夜明けまで食事はしてはいけないそうです。
これは相当厳しいですね。
私もジャイナ教に改宗すれば夜間にラーメンを食べる癖直るでしょうか。



 
シャシーさんのお話を元にインド12億人のおおまかな貧富内訳を見てみましょう。
貧富の差が少ない日本を例に出して比べるのは非常に難しいので、感覚的な表現になりますがご了承ください。

まず【富裕層】。
政治家とか役人・一流企業の重役とか一流大学出のエリート・・ここの割合がだいたい10%です。
10%といっても1億人超!日本の人口とほぼ同じです(笑)
それなりの家があり車があり、テレビやパソコン、カメラなど趣味性の高い物を買える余裕がある層です。
日本で言うと『職業=国際線パイロット 年収2500万円』みたいな感じでしょうか。
大規模農場経営者なんかもここに分類されるようです。

続いて【中間層】。
ここに分類されるのは約40%です。
今、インドで爆発的に増えているのがこの中間層。
この中間層をさらに細分化すると
【A】=大きい車(コンパクトカー以上)を買える人
【B】=小さい車(アシ用の小型車)を買える人
【C】=アシ用のバイクを買える人
に分けられます。
今回訪問させていただいた企業で言えば、キャリア1年目のワーカーですと【C】くらいに分類されます。
現地人でも優秀な技術者や工場長クラスになれば【A】クラスに成り上がれます。

そして【貧困層】。
シャシーさんは【努力している人】と表現されていました。
ここが約50%で、まだまだインドでは大多数を占める層ということになります。
個人商店経営者、農業・漁業従事者、スキルの低い単純労働に従事している人はここに分類されます。
ボコボコの自転車で通勤している人たちはまだいいほうで、農村部に行くと裸足で歩いている人なども見かけました。
生活必需品を買うのに精一杯な層で、いち早く【中間層のC】にステップアップしようと日々邁進している人達です。

そして、インドの驚異的な経済成長とともにこの所得に大きな変化が起きているということも忘れてはなりません。
貧困層から中間層に移行している人たちが年々増えてきているのです。
その数なんと年間5~6千万人です!
つまり毎年日本人口の半分ほどの人たちが中間層に移行しているということです。
この伸び率は驚異的です。
中国は一党独裁のもと鶴の一声で明日から法律が変わるような危うい国ですから、上から下までマーケットとしてこれほど将来有望な国が他にあるでしょうか。
インドという国が世界中から注目されている所以がここにあります。




では、インドにおける生活基盤のインフラ全般はどんなものなのでしょうか。
水道から電話に至るまで細かく見ていきましょう。

まず【水道】。
インドという国は平均気温の高さからもわかるように、基本的には砂漠の上にある国だと思ってください。
水というものは、人はもちろん国や社会の『要』であるといえます。
しかし、その重要度とは裏腹に水道のインフラは驚くほど未熟です。
まず地方はほぼ井戸水の使用で、水道が通っているのはムンバイやデリーといった大都市のみです。
その大都市ですら十分にインフラが行き届いているとはいえず、首都のデリーですら水道普及率はなんと25%。
それに輪をかけてインフラの基礎がメチャクチャで、末端に届いている水の量が水道局から送り出している量の半分だけというデータがあります。
つまり残りの半分は・・・土中の配管の継ぎ目から漏れているということになります(笑)
ちなみにこの水道水。
当たり前ですが、飲めません。
本視察は3日目からデリーのヒルトンホテルに泊まりましたが、一日の疲れを取るために浴槽に湯をはっていましたら・・
 
 
 
 
 
 
その湯が若干黄色かったです(笑)
 
【電気】はどうでしょう。
経済を滞りなく発展させていくには、安定した電力供給は必須です。
しかし、水道がそんな状況ですから電力インフラも総じて同レベルです。
実は本視察中にも訪問先全5社のうち実に2社で停電が発生しました。
そういった事情は「前提」なようで、いずれの企業様も電気が落ちた瞬間に社内のジェネレーターが稼動。
数秒の間に自家発電に切り替わるというシステムを作っていらっしゃいました。
しかし、自家発電の電力コストはインフラ電力に比べて2倍~3倍かかるとのことで、稼動のシフトが大変だそうです。
自家発電で毎日稼動させた場合、ラインによっては大赤字が発生する場合もあるようで、「今日はここのライン、明日からはこっちのライン」というような大まかな計画は欠かせません。
㈱ヨロズ様で伺ったお話ですと、24時間内、停電時間は実に12時間!
ちなみに他の自動車製造メーカーなどの大規模工場の場合ですと、政府との契約で優先的に電力を融通してもらえるようです。
(それって・・癒着や賄賂なんじゃねーのか?と思ったのはここだけの話です。笑)
続いて物流に大きく影響する【道路】です。
都会周辺の道路はさすがに落とし穴やたわみもなくそれなりに綺麗なアスファルトが敷かれています。
まっすぐ進む分には大した障害もなくストレスフリーです。
しかし、郊外に出るととたんに『エキサイトバイク』(1984年 任天堂)に出てきそうなたわみ・歪みの激しいコースに豹変します。
横転しそうなほどの勢いで左右に揺られるのはもちろん、小穴に嵌った時なんかは衝撃で尻が10センチほど浮きました。
本視察で一番よく走ったのがデリーからムンバイまで繋がっている国道8号線(通称NH8)です。
これもなかなか変わった道路でして、国道のクセになかなか真っ直ぐに走られないのです。
どういうことかと言いますと、ずーっと進んでいると道の真ん中にバリケードがあり、それを避けるように外側に移動しますとそこからまた真っ直ぐ道が続いているという感じです。
ではその避けたバリケードの向こう側には何が続いているのかといえば、舗装中の道路のような原っぱのような・・道なき道が続いています。




↑こんな感じで対向車線との間にはわけのわからないスペースが不等間隔で展開されております。

そのまま何キロか進んでいるとバリケードがあった元のレーンに戻ることもあれば、さらに外側の別の道に進むこともありなんだかよくわかりませんでした。
 
そして道路には車やバイク以外にもさまざまな障害があります。


トラクター。
 

行商や物乞い。
 

そして家畜。
 
家畜にはビックリさせられます。
主に牛なんですが、本当にどこにでも現れます。

例えば「こんな街中には現れんだろう」とボケーっと窓の外を眺めていましたら・・

 
 コレモンです。
 
餌を探すガリ痩せのマッドドッグ。

話が少しそれますが、ヒンズー教徒は牛を食べないのは皆さんご存知だと思います。
なぜ食べないのでしょうか。
シャシーさんのお話を聞いてなるほどと思いました。
まだまだ自動車など文明の力が存在しない遠い昔、人(インド人)は牛とともに生活をしていました。
畑を耕すのも牛の力を借りればいとも簡単にこなせますし、乳を搾れば牛乳が飲めます。
また、牛の糞は草を混ぜて乾かせば石鹸として使うこともできました。
牛は人々の生活になくてはならない存在。
つまり家族同然だったということです。
なので、先ほどの写真のように道路の真ん中に牛が紛れ込んでも決して無理やり退かそうとはしません。
せいぜいクラクションを鳴らすくらいです。




しかし、そこまで『お牛さま』を丁寧に扱っているのかといえば、特にそんな雰囲気もありませんでした。
パナソニック㈱様に訪問する道中、民家の横で野鳥に啄ばまれる牛の遺骸をみました。
周りの人たちは眉一つ動かさず、今日一日の生活を営んでいます。
よく言えば「放任」、悪く言えば「放置」といった感じでしょうか。
いや、あまりにインド人の生活になじみすぎて、彼らにとっては空気と同じような存在なのかもしれませんね。

そして【電話】。
実はインドの電話事情も日本と同じで、固定電話よりケータイ電話の契約数の方が多いのです。
少し日本の場合と違うのは、固定電話が定着する前にケータイ電話の普及スピードのほうが早かったという点です。
なので、インドにおける個人のケータイ電話の契約数は実に8割を誇る反面、固定電話の契約数は1割ほどとかなりの少数です。
ITの発展が怒涛の勢いで伸びまくった結果、電波系のインフラだけはあっという間に広がったということでしょうか。
しかし・・・我々日本人からすると、水道も電気もままならないインフラ状況で、モバイル端末をイジっている現実は違和感を感じざるを得ません。
先進国が歩んできた社会インフラの進化過程を思いっきり掻い摘んでいるような気がしてなりません。
『ドラゴンボール』全42巻をいきなり31巻から読むような感じですかね・・。

デリー郊外にあったデッカイ広告。私も愛用している台湾ブランド『HTC』ケータイです。
 
 
さて、続いては【インド人とビジネス全般】についてお話をしていきましょう。
まず、インド人は【時間にルーズ】というイメージです。
インド人の時間感覚を説明する時に「今から行くと行ったら3日後に家を出て、それから3日かけてやってくる」といった表現の仕方がありますが、実際はどうなんでしょうか。
現地の企業様にお話を聞いたところ、実際仕事においても納期はかなりいい加減な部分があるとおっしゃってました。
1日、2日遅れるのはザラだそうで、ひどい時には1週間。
死ぬほどひどい時には1ヶ月待ちなんてのもあるようです。
最初は「なんで納期どおりに仕上げてこないんだ!」と怒っていたそうです。
納期遅延の理由は様々で『渋滞で車が立ち往生している』『車が故障して動かなくなった』
『事故を起こしたのでしばらくそっちには行けない』『実はまだ会社にいる』等々・・小学生の言い訳みたいなものです。
インド国民全体がこのような感覚ゆえ、世界一時間にうるさい日本人ですら「こらあかんわ・・」という感覚に変わってくるそうです。
だからインドにある大多数の工場は日系か否かに関わらず、部品納入が遅れるのを前提で生産計画を立てています。
部品在庫の状況は企業様によって違うようで1週間分~1ヶ月分とマチマチでした。
 
 
あと、【カースト制度】の影響はどうなのか。
皆さん気になるところだと思います。
カースト制度というのは4階層に区分された職業身分の制度です。(カーストの「外」を含めると5階層になりますが・・)
現在、法律上ではカースト制度の存在は事実上、消滅しました。
しかし、3000年以上の歴史を築いてきたカースト制度の影響力が易々と消えるはずもなく、現在のインド社会全般においてもその根は深く残っています。
カーストの影響が今も色濃く残るのは『結婚』だそうです。
こればかりは『家』と『家』の繋がりですから当人同士がよければそれで良しというわけにはいかず、仕方がないことかもしれません。




では、実際の仕事場においてはどうなのか。
今回訪問させていただいた日系企業様ではそのようなカースト間の障壁はほとんどないとのことです。
実はインド人同士では名前を見ればなんとなく【出】がわかるようでして、
少なからずそういったコミュニティが形成されることもあるようです。
少なくとも実務においては全く問題なしとおっしゃっていました。

カーストと5Sにまつわるエピソードがあります。
「朝会社に来たらみんなで床を掃除をしよう」と日本人の責任者の方がゴミを拾いながら床を拭いたそうです。
するとインド人の従業員が「偉い人がそんなことはやめてください!それは下層カーストのする仕事です!」
と反発したようです。
しかし、掃除も契約に含まれていると説得した他、5Sの重要性や日本人的感覚を説いた結果、
今ではインド人従業員みんなで床掃除を始めるようになったということです。
インドの街はどこを歩いても塵芥と砂埃のオンパレードです。
逆に日系企業の工場はどこもピカピカです。
今までにそういう「綺麗な環境」で働いたことがなかったインド人には、
掃除をして床をピカピカにするという行為は逆に新鮮だったのかもしれません。
日系企業の信念と努力がやがてインドの街を綺麗にするといっても過言ではないと私は思いました。

あと、意外にもインドには派遣会社もあるそうです。
スキルの高いエンジニアですと売り手市場で職を探すことが出来ますが、一般的なワーカーレベルだと完全な買い手市場です。
例えば、職場環境や賃金待遇に不満がある場合でも、上層部に掛け合ったところで「君の替わりなどいくらでもいる」と言った感じでクビを切られることも少なくありません。
だからワーカーは多少の不満があっても耐え忍んで日々の仕事に勤しみます。
一度仕事を辞めてしまうと以前と同じような待遇や環境で仕事が出来るとは限らないからです。
しかし、我慢も限界に達すると、日本でも大々的に報じられましたマルチスズキのような大きな労働闘争に発展することもあります。
質の良い労働力をいかに安く確保していくか、今後も永遠に続いていくであろう企業の最重要課題です。

さて、まだまだ長くなりそうですね。

前編はここで終わりです。

次回、後編はインドの交通事情と自動車・バイク全般のお話をメインに進めていきましょう。

イッセイが見た・聞いたの話が主体となりますが、寝る間も惜しんでこの目に焼き付けてきたインドの光景です。
バス、トラック、リキシャ、乗用車、牛、バイク、犬、人、死体・・・
インドの「道」には日本では絶対にありえないようなさまざまなモノが存在しました。
インドにおける車・バイクの将来性や、現状考察等々色々と書きたいと思います。

また、今回ご訪問させていただきましたホンダ技研工業㈱インディアの方にもたくさんお話を聞かせていただき、またこちらからは色々と質問や要望をお願いさせていただきましたので、そのことについてもお話したいと思います。
それでは今日はこのあたりで!

ナマステ~!(ちょっ・・それあいさつ)
  


イッセイ

2013.03.02

イッセイ企業視察の旅 第三夜 タイ編

 さて、皆さん。こんにちは。

三夜連続と言っておきながら、やはり1日あいてしまいました(笑)スミマセン。
あさっての今頃、私はインドにいます。
何せ交通マナーがメチャクチャというイメージしかありません。
車にハネられて死んでもいいようにちゃんと保険にも入りました。
・・いや、死んだらよくないな。
 
インド視察終了後にもちゃんとレポートを書きたいと思いますので、皆さん楽しみにしていてください。
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【タイ視察記】
2011.10.20 ~ 2011.10.23

 
さて、私は10/20~10/23までの間、タイに行って参りました。
 
上海ファスナーエキスポの際にお世話になりました貿易商社経営のIさんから
「今年の秋にバンコクに工場見学に行きましょう」
と梅雨の時期だったでしょうか・・お誘いをいただいておりましたので、
「これは現地の工場を見るチャンス!」
ということでこのたび、勢い勇んで参ってきたというわけであります。
おおまかな予定では、当社の製品を使っていただいてます現地のメーカー様を見学する予定でした。・・が、タイは現在、過去50年で最悪と言われる大洪水の真っただ中。
日系企業が多く集まる北部のアユタヤでは多数の工場が水没。
10月の中旬になってからは首都のバンコクまで水が流れ込んだとのことで、テレビには水没した高速道路の映像や、住民がゴムボートに乗って往来している衝撃映像が映し出されております。
 
高額なキャンセル料を支払うのか、泥水があふれる街中を潜水しにいくのか・・・「行くも地獄・戻るも地獄」の極悪な2択を迫られる状況で、出発日を指折り数えていますと、3日前には現地動物園から100匹あまりのワニが市街地に脱走したという報道、1日前にはバンコク北部の地域住民100万人に避難勧告が出されたとの報道が・・。
 
「こ・・、これはわざわざ死ににいくようなモンでわ・・」
 
しかしサイは投げられているのです。
 
20日昼、現地からの情報が交錯する中、関西空港でIさんと合流しました。
やはりIさんも、現地の詳しい情報がわからないとのことです。
とりあえず行ってみるしかないです。
 
バンコク行きの乗り場はこのとおり!
 
 
飛行機もこのとおり!
 
100席あれば10人乗っているかどうかというところです。
いや、むしろ自分たち以外の人が乗っているというのがスゴい・・。
 


この時期にタイ入りを決行するというクレイジーな乗客を乗せた飛行機は午後4時前、日本を出発しました。
 

 
時計を現地時間に合わせましょう。(日本との時差は-2時間です)機内はほとんど貸し切り状態です。
真ん中の席をベッド代わりにしてそのまま寝てしまったので、すぐに到着しました。
 
 
 
タイ到着です!
私は30歳を目前に8つ目の海外を制覇(!?)です。
 




 
さて、結論から言いますと、滞在した3日間、バンコク都内は割と穏やかでした。
日本での報道を見ますとあたかもタイ全土が水没してしまい、都市機能がマヒしているというような印象がありますが、道路は冠水し、街では暴動が起きている・・なんてことはなく、人々は普段どおりの生活をしていました。
しかし、バンコクに水が浸水しているという報道は丸々ウソというワケではなく、実際チャイナタウンの一部には水が迫ってきておりました。
私が見た感じですと水深は1センチほどでしたが、これから数日かけて徐々に都心部に流れ込むとの情報です。
 

 
チャイナタウンの店主たちは自らの城を守ろうと、店の入り口にブロック塀をコンクリで塗り固めたりと、完全防護の体制で挑もうとしていました。
月末には海が満潮を向かえ海面が上昇しますので、本当の被害はこれからといった感じでしょうか。
タイの無事を祈ってやみません。
 
 
さて、イッセイのタイ滞在時間はホンのわずかなものでしたが、短い時間の中でもわが身をもって体験したことは非常に刺激の強い思い出となり記憶に深く刻まれました。本ブログでは、私が見てきて感じたタイのありのままの感想を書き連ねたいと思います。
 
その前に、そもそもタイは日本と同じ立憲君主制国家であり、大東亜戦争の折には日本と同盟を組んでいたこともあって非常に親日的な国として知られています。
また戦前から日本企業が数多く進出していた地域であり、日本の歴史や文化はもとより、日本の製品、サブカルチャー等を抵抗なく受け入れることができる土壌がごく自然と形成されていたとも言えます。
そういうこともあってか、街にはいろんな日本語が散らばっていました。
また、日本の音楽やキャラクター、マンガなども多数見受けられました。
ちなみにバンコク滞在中、一番目にした日本のキャラクターは【ドラえもん】でした(笑)
 
 
さて、まずはバンコクでの【食事】です。
旅先での醍醐味といえばやっぱり地元屋台の名物料理です!
・・と、言いたいところですが、ハラに「よからぬ物」が入ってくるとマッハの勢いで下痢に見舞われる私にとって、タイで見る屋台の食べ物を口にする勇気など1ミリもございません。
安全を一番に考えると屋台は避けるべき、ということで結局はショッピングモール内にあるフードコート系に落ち着きました。
 
滞在2日目の夜に、現地のねじ問屋で働いているスニーさんに『サイアム パラゴン』ショッピングモール内にある『翡翠金閣』という高級中華料理店に連れて行っていただいたのですが、これがとても良かったです。
貧乏な舌の持ち主である自分には勿体ないほど美味しゅうございました。
また、2日目の昼に行った日本食レストラン、最終日に行った日本風焼き肉店もなかなか美味しかったです。
 
タイ国内でもっとも有名な日本食メーカーは『OISHI』グループと『FUJI』グループだそうです。
とりあえず、この看板が出ている店に行けば間違いないだろうとのことです。
 





 
日本食レストランはタイ国内でもかなり人気があるらしく、ショッピングモール内の日本食レストランは休日ともなると行列必至とのこと。
実際に、焼き肉とかラーメンとか丼とかの店がスゴく多かったように思います。
 
 
ちなみに、バスの広告で見た『チャクザ』と書かれたジュースが猛烈に気になりながらも帰国の日までに見つけることができなかったのが悔やまれます。
日本に帰ってから調べましたら、『チャクザ』はやはり『OISHI』が展開する炭酸飲料水だそうで、名前の由来は【茶】と【ヤクザ】を掛け合わせた造語だそうです。(ヤクザ・・笑)
 
 





 
次は交通手段である【車・バイク】全般についてです。
ここ数年の経済発展のおかげでタイ人の所得も年々増加傾向にあるようです。
それに伴い、中間所得者層には車を持つ人もチラホラ出てきているようです。
街で見かける車はうれしいことにほとんど90%が日本車で占められています。
街で一番多いトヨタ・カローラを筆頭に、ヤリス(ヴィッツ)、カムリ、ランドクルーザー、ハイラックスサーフ、アルファード、エスティマ、現行のプリウスもありました。
ホンダはJAZZ(フィット)、アコードが多いです。
ニッサンはやはりタイ製である現行マーチが大人気なようでそこそこな数を目撃しました。
ミツビシ、マツダは数回、トラックは日野(旧ロゴ)が多かったです。
レクサスブランドは全く見ませんでしたので、タイでは展開していないのかな?
そして、途上国相手に売り上げを伸ばす韓国ヒュンダイはなんとバンコクでは1度も見ませんでした。
街中では日本車が多いですが、中間所得者層以上が集まる高級ショッピングモール『サイアム パラゴン』内のパーキングでは一転、ドイツ車が多いように感じました。
ベンツ、BMW、アウディ、MINI(今の)と続きます。
ベンツは一時期、一部のグレードをタイ生産にしたところ、タイ国内での人気がかなり下がったという話を聞いたとこがあります。
それでも「腐ってもベンツ」。
人気は絶大です。
 
パーキング1階の真正面に7777ナンバーの真っ赤なフェラーリF430が止まっていたのはちょっとビックリしました。
 
 

続いてバイクです。
タイ人の重要な移動手段はやはりバイク(主に125cc)です。
何よりも自分の目的を達成するのが最優先であり、無謀運転という自覚があるはずもなく人々は抜きつ抜かれつを繰り返しています。
以前、ベトナム・ハノイで見た光景とほとんど変わりません。
ただ、バイクの種類やバイクに対する考え方は少し違う点があるなと思いました。
 
まず、ベトナムでは「ホンダ」=「バイク」というくらいにホンダのシェアが圧倒的でありますが、タイでは少し違うようで、ホンダの寡占状態というわけではないようです。
体感比率は【ホンダ3:カワサキ3:ヤマハ3:スズキ1】という感じでしょうか。
スズキが極端に少なく、それ以外が同じくらいの比率で拮抗しているという印象を受けました。
ただし、古いバイクはカワサキが多く、ピカピカのスクーターはヤマハが多かったという点を考えますと、これから先、各社シェアは少しずつ変わっていくのかなとも思いました。
そして、ベトナムでは先鋭的なフォルムのスクーターが圧倒的に多かったのですが、タイでは現役で動いているバイクの約半数が一時代前の2サイクルのバイク(2ストロークバイク)という点です。
 
 




 
そこらで白煙をまき散らしております。
街を歩いただけでやたらと体力が消耗する原因は、この2ストチャンバーから放たれる爆音と、オイル臭い白煙が原因だといっても過言ではありません。
非125ccの日本製バイクもわずかながら存在しました。
CB400スーパーフォア、スティード400、ビラーゴ250。
日本からのお下がりバイクとみて間違いないでしょうが、どういう経緯でタイに流れたのかは興味がありますね。
あと、カワサキのニンジャ250Rも見ました。(これはもともとタイ製です)他の途上国と明らかに違う点としては、車やバイクを足として使いながら、実は趣味的な要素も持ち合わせている点です。
なんとバンコクの若者は車やバイクをイジるのが大好きです。
そう、カスタムです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

















日本にそのまま持ち込んでも通用するようなセンスのイイイジり方の車もかなりありました。
これは、同水準の経済レベルを有する他の国ではほとんど見られない光景です。
まず、カスタムという概念すらない国がほとんどです。
そもそも、イジるお金があるのなら他のことに使うか、もっとイイ車に乗り換えようと考えるものです。
しかし、バンコクの若者は見栄やステータスより、自分の好きな世界にお金を投じているという感じが伝わってきます。
エンブレムをつけたり、ホイールを変えたり、内装をデコレーションしたり・・形は様々です。
例えば、上の写真にあるCB400スーパーフォアにはヨシムラのカーボンマフラーが装着されておりました。
日本でも50,000円からする一品です。
イイ車に乗りたいと考えている人が買う物でないのは明らかです。
そういう意味でも、タイの自動車&バイク関連のアフターマーケットの伸びしろはまだまだ未知数だと感じる次第です。
日本のアフターメーカーは積極的にタイに投資するべし!(笑)
 
 
 
余談で恐縮ですが、これはバッタモン市場で有名なパッポン通りのとあるお店の壁にブチ上げられていたバイクです。
エンジンの形を見る限りではベース車両はCBっぽいです。 (エンジンはDOHCだから『~F』かな?)
 
 
 
続いて【タイ国民とタイ国王】について書きたいと思います。
我々日本人がタイ人に見習わなければならないなと思うことがありました。
それはタイ人のタイ国王に対する崇高な【敬愛心】です。
タイの国王はラーマ9世、通称『プミポン国王』。
タイの紙幣『バーツ』にはすべて国王の顔が描かれています。
プミポン国王は常に国民の目線で自ら行動を起こし、農地改革や干ばつ対策に積極的に取り組んでいらっしゃいます。
また、人格者であり慈悲深い人物であることからタイ国民から敬愛されるタイの象徴でもあります。
タイ人の国王に対する尊敬は決して某独裁国家に見る崇拝教育といった「強制」ではなく、タイ人自身の内からくる自発的な感情からです。
ツインタワーホテルのロビー、ネジ屋さんの事務所の壁・・あらゆるところにプミポン国王の肖像画が張られていました。
また、国王の誕生日には全国民が国王の誕生色でる黄色の服を身にまとい盛大に祝う習慣があります。
プミポン国王は、タイ人の心のよりどころといっては大げさかもしれませんが、それに勝るとも劣らない偉大な存在なのです。
一方、日本には世界に誇れる世界最古の王朝である【皇室】が存在しますが、今日の日本にタイで見たような光景は一切見られません。
日本人自身が皇室に対してあくまで無関心だからです。
自国の象徴すら敬うことができないとは、なんとも嘆かわしい限りです。
今日の日本人が遠い昔に失ってしまった【真心】を、タイ人に見た気がしました。
 
 
さて、本題はいつ登場するのやら・・・
ハイ、実は今回のタイ視察の最大の目的は【工場見学】だったのですが、見学予定だった工場2つがまさに洪水被害で壊滅状態となっているアユタヤにございまして、この旅での訪問は不可能となりました。
結局、街のネジ屋さん数軒と、Iさんが日頃お世話になっている現地のネジメーカーさんを訪問して帰ってきました。
まあ・・それだけでも私としてはかなりイイ情報が得られたなと思います。
今回のバンコク視察は当初の予定より大きくズレが生じましたが、色々と貴重な体験ができたので、結果としては非常に意義のあるものだったと感じました。
洪水被害が完全復旧した折に改めて訪問したいと考えております。今回もIさんには色々とお世話になりっぱなしでした。
 
ありがとうございました!
 
さて、ここからは写真で見るバンコクの【風景】です。
 
 
 
 


これは車好き、特に旧車好きにはたまらない通りです。
ナルディやモモのハンドル(・・のレプリカ)、当時物のエンブレムやテールやキャブ、日本のワゴンセールから流れてきたようなカスタムパーツ等々、1日中まわっても飽きません。
ホールデンのエンブレムなんかはちょっと欲しかったかもw
 
 


これはタイ名物【トゥクトゥク】。
二輪車を改造したもので、まあ、いわばトライクみたいなもんです。
現在は、安全性や環境の問題で新規登録はできないとのことです。
いずれはなくなる運命の乗り物です。
ちなみにこのトゥクトゥク。
なんとバイク乗りが集まる大阪の某イベントで見たことがあります。
しかも公道仕様!
こんな珍車が大阪の町を走っていると思うと、ワクワクしますね~!
 


これはパッポン通り
時計やブランド物の宝庫です。
もちろんオールバッタモン。
立派な店構えのショップに並んでいるバッグもオール偽物。
でも本物のオニツカタイガー(メキシコ66)が売っていました。
ちなみにロレックスも大量にありまして、「Aキュウ!Aキュウ!」といって見せに来るのですが、ベゼルやデイトの仕様で一発で偽物とわかるくだらない物でした。
 
 


さて、最後はタイと関連のあるあの有名ドリンクにまつわるエピソードを。
皆さんは『レッドブル』という飲料水はご存知ですか?
向かい合った水牛が目印のエナジードリンクです。
日本ではコンビニ限定で展開されている唯一無二、孤高の栄養ドリンクです。
実はこのレッドブル、生産国が北米やヨーロッパなので欧米系の飲料水ブランドだと思われがちですが、実は誕生の地はタイなのです。
日頃からレッドブルの飲みすぎで、ついには愛車であるYAMAHA R1-Zにレッドブルのステッカーを貼っちゃったくらいレッドブルファンの私にとって、タイはまさに【聖地】でもあります。(笑)
「タイに行くからには、何が何でもレッドブル関連の物を買って帰るぞ!」
と、今回、大志を抱いて海を渡ったわけです。
しかし、我々が普段目にする世界的に有名となったレッドブルと、タイ国内で売られている元祖レッドブルはまったく別物。
バンコクの街中でレッドブルのグッズなんか売っているわけもありません。
しかし、最終日に行きましたパッポン通りにてついにレッドブルのグッズをGETすることができました。
IさんとHさんに買っていただいたお土産です。



 
こちらはレッドブル レーサージャケット(レプリカ)。
シルエットはダサいけど、デザインが超好き!
 
そして何よりお気に入りなのがこちらのTシャツ
 
 
レッドブ・・・・じゃねーし!!(笑)
 
以上、東南アジアのカオス タイ・バンコクのレポートでした。
 
モダンと伝統を同時に味わいたい欲張りな方はぜひ行ってみてください。
 
 

ではでは。

2013.02.28

イッセイ企業視察の旅 第二夜 上海編

 ハイ、みなさんこんにちは。

今日は、前回ベトナム視察の3ヵ月後に行きました上海編です。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【上海視察記】
2011.6.16 ~ 2011.6.19
 
 
さて、私は6/16~6/19の間、上海に行ってまいりました。 
目的はなんぞや・・! 
それはズバリ、中国上海にて『上海ファスナーエキスポ2011』というファスナー(締結部品全般)の見本市が開催されるからであります。

当社も割ピンを製造している立派な「マニュファクチャー」ですので見に行かない手はありません。 
今や日本のネジ業界は安価な中国製、台湾製、インド製など、さまざまな新興国からの輸入品にメッタ打ちにされております。 
割ピンに関してはどうか・・・。

とりあえずはご安心ください。

我が社の割ピンと、その他新興国生産の割ピンの品質の差は歴然です。

新興国の割ピンは、言ってしまえば【穴に入ればよい】レベルです。

当社の割ピンと比べて、どれほど品質の隔たりがあるのかと言いますと、例えば自社のホームページ上に平気で腹ぶくれの割ピンを掲載しているようなレベルです。(これはおそらく、キャリア巻きの半丸線をクセ直しをせずにそのまま成型しているからだと思います。)

「穴に入る割ピン」レベルならまだマシなほうで、箱を開けたらゴミが混入しているとか、「基本的に脚のネジレは自分で直して使うのが前提」など、あり得ない話を耳にしたこともあります。

ちなみに腹ぶくれ割ピンなど、当社では検査の段階で『不適合品』として廃棄するものです。

では、余裕綽々でかまえておればいいのかといえば、決してそうではありません。

ネジやボルトがそうであったように、途上国だと見下していた国がいつの日か日本製割ピンと同レベルの物を作って日本に乗り込んでくるかもしれません。

来たるべき日のために防衛線を張るべく現地を調査しておこうという、いわば敵地視察なのです。

私は平成の小野妹子となって煬帝(ようだい)に国書を叩きつける覚悟で行って参りました。



 
というわけで、いつも取引でお世話になっているIさんにいろいろと手続きをしていただきまして、無事、現地に到着。
 
 

2日目からいざ出陣! 
ここがその会場。
 


 
1階は工作機械の展示です。

2階と3階がファスナーの展示会場になります。
 
 
 
 





さまざまなメーカーが出展しておりまして、中国以外にも、日本、台湾、韓国、タイなどさまざまな国の企業が自慢のネジやボルトを披露していました。
 


そしてお昼になると客がいてもおかまいなし。

なんと机で弁当を開けてその場でメシをほおばっております。 
・・なんという国民性(笑)
 

3日目は現地の工場視察です。 
猛烈な悪路を2時間ほど爆走。
 
 
 
つきました。
 
 
 
オフィスは新築のようで、まだピカピカです。 
 
 
 
 
 
ド派手なオープンセレモニーになぜかワケもわからず参列するハメになり、日本のバブル時代を髣髴とさせるようなムダな演出にしばし唖然・・。
 
その後は、工場を見学させてもらいました。

そこで見たのは・・

想像してたよりも格段にレベルの高い設備・・!
 
 
 
  






だだっ広い敷地にボルトホーマーがこれでもかというくらい並んでおります。

思ってたよりも格段にデッかい設備に圧倒されました。

さて、ネジ関連の話は一旦置いといて、現地で見たこともここに綴っていきたいと思います。
 


 
実は15年ほど前にも一度、観光で上海を訪れたことがあります。 
そのときの感想は、その1年前に行った香港より経済発展は10年は遅れてとるな・・と正直思いました。 
しかし、成長著しい中国。 
ここ上海も例外ではなく、高層ビルがかなり増えていました。 
聞くところによると、現在、上海の人口は2200万人だそうですが、10年位前までは半分くらいだったとのこと。 
短期間で人増えすぎでしょう・・。 
それだけ、経済が発展したということでしょうか。 
出稼ぎで一時的に住む人がドッと押し寄せているようです。 
しかし、上海の戸籍関連の決まりごとは相当キビしいらしく、例えば、農村部に住んでいる人が上海に移り住むことは出来ないそうです。 
都会で働く人は会社でノウハウを身に付けたらサッサと独立します。 
そこからさらに成功すれば財を成すことが出来ます。 
でも、農村部出身者はなかなか貧困のスパイラルから抜け出せません。 
だから互いの格差は広がる一方なのです。

あと、都会的な高層ビルは多いですが、街そのものはどんよりと小汚いです。 
舗装されているアスファルトもところどころ撓んでいるので、そこにはゴミがたまり、水溜りも出来ます。 
そして、現地の人間は平気でそこらにゴミを捨てます。 
特に多いのがタバコの吸殻。 
中国で携帯灰皿を普及させたらノーベル平和賞モンだと思ったのは余計なお世話でしょうか。

つづいて自動車・バイクです。 
 


 
まず自動車。 
中国でのタクシーはフォルクスワーゲンの「サンタナ」が圧倒的に多いです。(てか、ほとんど全部) 
タクシーだけではなく、一般人が乗る車もワーゲンがダントツで多いです。 
フォルクスワーゲンは中国で国外の自動車メーカーとしては最初に合弁企業を設立したメーカーであり、そういう意味でも中国人にとってワーゲンは【国民車】みたいなものです。 
インドにおけるマルチ・スズキみたいな感じかな? 
自動車のシェアは体感的に

ドイツ車4:日本車2:中国車2:アメ車1:フランス車0.5:韓国車0.5

という感じでした。 
見た感じ高級車として人気が高そうなのは、アウディ、ベンツ、レクサス、BMW・・だいたいこのあたりです。 
遠く離れたUAEのドバイでは体感7割が日本車だったことを思うと、なんとも寂しい上海の日本車事情です。 
ちなみに上海で車のナンバーを取得しようとすると、なんとその経費は・・中古車一台が買えるほどのお金を払わないといけないようです。 
これにはビックリ! 
しかも、農村部の車のナンバーでは上海に入ることが出来ないとか、にわかに信じがたい法律があるようです。 
渋滞を未然に防ごうとする試みなんでしょうが・・いずれにしろ日本ではちょっと考えられないです。

続いてバイクです。  
 
 
 
 
バイクといっても国がまだまだ発展途上なだけに、バイクを【趣味】として楽しむ余裕はないようです。 
なのでバイクといえばスクーター。 
スクーターといえば「足」です。 
足扱いの汚いバイクが街には氾濫しておりましたが、人口に比べて台数自体はそこまで多くないように思いました。 
なにせ、3月に行ったベトナム・ハノイはどこを見てもスクーターだらけでしたので、そっちのインパクトのほうが大きかったからでしょうか。 
思ってたよりは少なかったです。 
趣味としてのバイクは根付いていないと言いましたが、リッターバイクの存在自体は知っているようです。

おもちゃ屋にはホンダのCBRやスズキのGSX他、ドゥカティやハーレーのプラモデルが売られていました。 
インドネシア出身(華僑)でネジの卸問屋を営む黄さんに 
「バイクは何乗ってるんだ?」 
と聞かれたので、 
「ヤマハの1700cc。あとミドルクラスのカワサキとホンダ!」 
と言ったら、目をむいてビックリしていました。 
ちなみに黄さん曰く、インドネシアではそんな大きいバイクは登録できるかどうかわからないとのことです。

最後に、冒頭の上海ファスナーエキスポを視察して感じた事を。

正直な感想を言わせてもらいますと、ネジ関連の生産はもはや完全に新興国の【お家芸】になってしまったといってもいいでしょう。 
人件費が格安というのは言うまでもなく、納期、品質においても日本と殆んど差がないレベルにまで達しています。 
我々日本の町工場がネジ関連で生き残っていくには・・高精度、徹底した品質管理、短納期というのは必須条件です。 
それとプラスアルファ【ブランド力】【高付加価値】という要素がなければ、新興国のネジに対抗するのは不可能でしょう。

もはや「作っていれば買ってくれる」という時代はここ日本においては過ぎてしまいました。 
日本のネジ会社は今直面している荒波にどう向かっていくべきか・・各社が生き残りをかけてその方法を死に物狂いで模索しなければ順々に死んでいくだけの運命です。 
幸い、我々日本のメーカーに求められているものはまだまだあります。 
それは製品自体の質であったり、企業としての信頼性、業の緻密さであったりもします。

今回の上海視察を経験し、もう一度、原点に返って「日本らしいものづくりとはなんぞや」ということを真剣に考えなければならないと感じた次第であります。 

以上、イッセイの上海見聞録でした。
 


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