会長&スタッフブログ

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2023.11.24

イラストNO、119 山田線 大槌川を渡る

 今回のイラストは、昭和43年の秋、岩手県は山田線の客レを牽引して大槌川を渡るシゴハチです。

イラストの元写真は、佐竹保雄さんの奥さん紀美子さん撮影ですが、山田線のフォトコンで三陸鉄道社長賞に輝いた名作です。

大槌を出発した列車は、吉里吉里に向けてダッシュします。郡山工場式の集煙装置、テンダーには1500リットルの大きな重油タンクを載せた宮古区所属シゴハチのシルエットが美しく浮かび上がります。

遠望のシルエットからでは、はてな?このシゴハチは何号機だろうか?集煙装置、テンダー上の重油タンクから推測するのですが、なんせ、宮古区にはシゴハチが16両も配置されていましたから残念ながら。 さて、紀美子さんは覚えておられるでしょうか。。。

2011年に発生した東日本大震災による巨大津波は大槌川流域にも甚大な被害をもたらしました。後年新設された水門は山田線橋梁のすぐ東、河口側に設置され和船の行き交うのどかな入り江風景は見られなくなりました。

2023.11.08

イラストNO、118 北条線 法華口にて

  イラストNO.118は仕上がりが大幅に遅れて、本来なら10月初旬のはずが月末になってしまいました。

このイラストの元にしたのが昭和30年代半ばの、C12167号機の写真であったのでキハ06にアレンジするのに手間取った次第です。

北条線にキハ06が走っていたのは昭和42年頃までで、当時はキハ20などと共用されていたようですが、いつの間にか無くなってしまいましたね。

運用は通常単行ですが、多客時間帯は2連運行もあったようです。

また、この時代は貨車を従えての客貨混合列車がありましたので、古き良き時代ですね。

国鉄北条線。今では北条鉄道になって、キハ40が五能線カラーで駆け抜けています。

2023.09.06

イラストNO、117 船坂峠を下る

  C59 129号機に牽引された急行列車が、客車に纏わりつく煙と共に船坂トンネルを飛び出して来ました。

山陽本線の岡山電化の工事が始まる直前の昭和34年の鉄道風景は、コンクリー電柱や架線などは無く、線路周りは綺麗さっぱり、広々としたものでした。

兵庫~岡山の県境に立ちはだかる船坂峠は、特に重量貨物列車にとっては、最強の力持ちであったデゴニとても難所でしたが、

急客機C59においても長編成の優等列車では胸突き八丁でした。

イラストの129号機は前部端梁に白帯の縁取り、煙室扉ヒンジに白い色差しの、広島機関区所属特急「かもめ」指定機であったと思うのですが、沖田祐作氏の機関車表では熊本機関区所属時代の履歴しか記載されておらず、また何某かC59関連の記録があれば探ってみたいと思います。

2023.08.13

02 出戻りの話

  今年の1月に、かねてより念願であったBMW2002をインターネットオークションで落札しました。

今ではかなり貴重な、BMW2002 1970年代前半のいわゆる初期型丸テールで、しかも右ハンドル車でした。

落札価格は、そこそこ手をかけても十分な金額、だったはずでしたが。。。

陸送でやってきた02、一目で、こりゃーオレの手にはおえんぞなー、という相当ヤレた車でした。

私の、ざくっとした感覚ではナンバーを取って普通に走らせるのに150~200万くらいはかかりそうな。。。

ああー、部品取りでも持っていればなー。。。

オークションなどで車を落札するのは現車確認が当たり前ですがな。 いくら車のある場所が遠方だとしても。

それを怠った私が悪かったのです。

しかし、すぐさま出品者に、車の説明書きと実車の程度の違いが大きすぎて、ご法度を承知の上で車の返却と、相応額の返金を要求しました。

紆余曲折、艱難辛苦、 幾度かの出品者とのやり取りの末、この度半年ぶりに関東まで帰って行くことになりました。

思えば昭和59年頃、姫路の、とある自動車屋さんから02の丸テールを譲ってもらったことを懐かしく思い出しました。

タダでいい、と言われたので、ほんの菓子折ひと箱で御礼をしたという、昔の話です。

諸事情により、その車は公道を走ることなく保管することになり、復活することはありませんでした。

あれからもう40年か!

そしてこの度の02も復活せず。。。02には縁がありませんわ。

2023.08.08

イラストNO、116 伯備線を往くDD54

  蒸機時代には、D51の三重連が走るということで、ここ布原は有名な撮影地でしたが、信号所を出発した列車の力行が見られる場所として大人気のスポットでした。

一方DD54は新製以来、故障が頻発して工場に出たり入ったりの不評はありましたが、山陰本線、福知山線、播但線、そして短期間ながら伯備線でも使用され、陰陽連絡道の輸送に一役買いました。

このDD54、調子のよい時には “ビューン!ガツン!” DD54ダッシュとでも言うのでしょうか、非力なDF50には無い、力強い出発シーンが見られ頼もしいものでした。

伯備線で使用されていたDD54は、山陰本線で20系寝台特急「出雲」の牽引などにもあたり、それなりの活躍の場でもありましたが、DD51の進出に伴い静かに姿を消しました。

イラストは蒸機時代の末期昭和46年、35系客レを牽引して布原の第23西川橋梁を渡る37号機の雄姿です。

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