会長&スタッフブログ
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2013.10.21
お茶の思い出
通称「古田のおばちゃん」が定年で会社を去りました。
私が幼少の頃からいましたので、30年近く旭ノ本金属工業所にいたということになります。
私がお客様を姫路駅まで迎えに行っている間に、最後の挨拶に来て冒頭の写真のものをそっと置いて帰ったそうです。
中はクオカードでした。
会社の古くを知る人が去っていくことは、やはり寂しいものです。
「ジュースが飲みたいよ~うわ~ん!」
母親との買い物の帰りに立ち寄った会社での出来事。
カップジュースの自販機を目の前にしてイッセイ少年は地面を転げまわってダダをこねていました。
小学校の低学年くらいの頃のお話です。
「よっしゃ。おばちゃんがお茶いれたろ」
と言って、事務所の奥で湯を沸かして緑茶を淹れてくれたのが古田のおばちゃんでした。
しかし、冷たいジュースが飲みたいイッセイ少年は緑茶を一口飲みこむなり
「熱い~!こんなんイヤや~ジュースジュース~」
と、アホみたいにダダをこねるばかりです。
食い下がる古田のおばちゃんは
「あ~熱いんか。ゴメンやで。ちゃんと冷ましたの入れたるからな」
と、言ってもうひとつ、同じ湯飲みを奥から持ってきました。
「イッセイええか?お茶をな、コレに入れたり移したりしとったらじきに冷めるさかいな。今からおばちゃんが冷たいお茶飲ませたるでな」
と、言って、湯のみを両手に持ち、エンヤコラエンヤコラと右の湯飲みにお茶を入れては、左の湯飲みに移し替え~という曲芸を披露し始めました。
イッセイ少年は「おばちゃんスゲエ!」と、泣くのをやめその芸を凝視していましたが、湯飲みのフチは丸く茶の切れが悪いのか、やればやるほど机がお茶でビタビタになっていくのです。
「イッセイ、お茶冷めたで、飲みや。」
と、差し出してくれた湯飲みには・・半分くらいしかお茶が残っていませんでした。
それでも、お茶がキンキンに冷えているものだと思ったイッセイ少年は嬉しそうにお茶を口に含んだのですが、もちろん期待しているような「冷たさ」になっているわけでもなく
「熱い~!こんなんさっきと同じお茶や~!ジュース~!ジュースが飲みたいよぉおお~!!」
と、また泣きわめくのでありました。
結局、母親にジュースを買ってもらったのかどうかの記憶はありません。
少年にはお茶のインパクトのほうが強かったからでしょう。
そんな古田のおばちゃんが会社を去りました。
わかっていてもなぜか寂しいものです。
今までありがとう。
イッセイ
2013.08.31
晴れ時々ペチカ (ロシア企業視察の旅)
さて、行って参りました。
その名も【ロシア日系企業視察の旅】!


今回も大阪府工業協会様に色々とお世話していただきまして、6月の末から7月の頭にかけて約1週間強ですが、異国の地ロシアを堪能してまいりました。
地理的にはロシアも立派な「お隣さん」なんですが、なぜかあまり馴染みが無いというか、我々日本人には【近くて遠い国】という感じがします。
実際、テレビなんかを見ていましても、ロシアが画面に映る機会って少ないと思いませんか?
私、ほとんどテレビでロシアの風景見たことないんですが・・。
ロシアと聞いて我々日本人が抱くイメージとはどんなものでしょうか。
おそらくですが・・・
・国民は全員気性の荒い人間ばかり。
・街はどんよりと薄暗い。旧ソビエト時代に建てられた赤レンガのボロボロの家がそのまま放置されている。見るべき歴史的建造物はほとんどない。
・凶悪事件が多発するデンジャーシティ。夜中の徘徊は厳禁。日本人とわかるといなやドルフ・ラングレンみたいな大男にど突かれて裸にされる。
・・スミマセン。言いすぎました。笑
でもこれ、ロシアに行く前の私の率直なイメージです。
皆さんはどうでしょうか?
大なり小なり程度の差はあるでしょうが、ロシアに対して良いイメージを持っている方はかなり少ないと思います。
今回、ロシアを視察して私が肌で感じたのは、ロシア人は日本という国をかなり好意的に見ているということでした。
シベリア抑留や北方領土問題などの政治的なネガティブイメージばかりが先行しすぎており、それがロシアの真実の姿をかき消しているのは間違いないです。

今回は、私がこの目で見てきたありのままのロシアの姿をウソ偽りなくお届けしたいと思います。
歴史的なことや政治的なことを書くと、そこから前に進まないと思いますので思いっきり割愛させていただきます。笑
もちろん、車やバイクのことはたくさん見てきましたのでそのあたりを重点的に惜しみなく書いていきたいと思います。(てか、ほとんどそれがメインなんですが・・)
ロシア見聞録はじまりはじまり~

【ロシア連邦】
人口は日本よりやや多く約1億4300万人。
国土は世界一広く、なんと日本の45倍という巨大さです。
首都はモスクワ。人口は約1100万人。
ロシア第二の都市はサンクトペテルブルクで人口約500万人です。
ロシア帝国時代はなんとサンクトペテルブルクが首都だったそうです。
ロシアの人口はウラル山脈より西側にほとんど8割方が集中しています。
シベリアあたりはインフラ整備も遅れがちだったようですが、近年になってロシア政府も東の方へ人が流れるような政策(インフラへの投資や補助金支給)を打ち出したため人口が徐々に増えてきており、ハバロフスクやウラジオストクでは現在ではどちらも5~60万人ほどの人が住んでいるとのことです。
(我が姫路市の人口と同じくらいです。)

ロシアの前身は1236年のモスクワ大公国からはじまりました。
それ以降、ロシアツァーリ国 → ロシア帝国 → ソビエト連邦社会主義共和国 → ロシア連邦(現在)と、国の体系が様々に変容してきました。
先ほど登場しましたサンクトペテルブルクですが、実はソ連時代には【レニングラード】という都市名で、さらにその前は【ペトログラード】という都市名でした。
歴史の変容と共に都市の名前も変化してきたのですが、これは近隣諸国との戦争や、ロシア国内の内戦などで情勢が常に不安定だったという歴史の証です。
【平和】や【安泰】というものは「戦争反対~!」などと旗を振り回しながらボケーッと立っていて得られるものではありません。多大な犠牲があってその上に成り立っているものです。だから尊い。

さて、私が知ってるロシア史における有名人は・・・ピョートル大帝、ロマノフ(王朝)、
イヴァン1世~、アレクサンドル1世~・・
こんなとこです。
歴史上の人物以外では・・フョードル・ドストエフスキー(小説家)、エメリヤーエンコ・ヒョードル(格闘家)、あとテトリス好きとしてはアレクセイ・パジトノフも欠かせません。笑
近代史におけるロシアのイメージは第一次大戦以降にドイツ相手にドンパチしながら土地の奪い合いを演じた血の気の多いイメージが強いです。

わが国とは大日本帝国時代に一度大きな戦争をしており(日露戦争)、第二次大戦後から現在に至るまでは依然として北方領土問題を抱えております。
ロシア側は話し合いでの解決に積極的な姿勢を示していますので、一刻も早く円満解決の方向に持って行きたいところです。
前置きはこのくらいで・・。
では~まずロシアは寒いというイメージがありますが、実際はどうだったか。
たしかに冬になると平気で摂氏マイナスの気温になります。
今回訪問したサンクトペテルブルクでも冬になるとマイナス30度にまで気温が下がります。
しかし、今回訪問した期間は6月下旬から7月上旬。
ロシアではもっとも暖かい季節になります。

正直言いますと、滞在していた1週間・・・メチャクチャ暑かったです。
長袖なんか一枚も要らないくらいに暑かったです。
寒かったら凍えてしまう!と思って持ってきたユニクロのダウンジャケットですが、まったくもって必要ではありませんでした。
必要なさ過ぎて捨ててやろうかと思ったほど暑かったです。
この日中の暑さが夜になるとちょうどよい気温になるわけでして、極寒のイメージしかないロシアにおいては今が一番過ごしやすい季節だったのではないかと思います。
ハッキリわかったことはロシアにもちゃんとクーラーが存在するということです。笑
さて、ロシア人の生活全般についても書いておかなければなりません。
まずロシアでの平均給与はどのくらいか。
これは都市部と地方では若干差があります。
ロシア全土での平均月収は約25,000ルーブルです。
現在のレートでは×3をすれば日本円に換算できます。
つまり日本円で月収75,000円ほどになります。
これが首都のモスクワでは平均で約43,000ルーブルとなり、日本円に換算すると129,000円となります。
もちろんこれはあくまで『平均』であり、貧富の格差が存在するのもまた事実です。

物価は高いです。
正直言いますと、ほとんど日本と同じくらいの水準です。
もしかしたら日本より高いのではないでしょうか。
サンクトペテルブルクではケンタッキーフライドチキンに行きました。
小ぶりの骨付きチキン5個、Mサイズポテト、Lサイズコーラのセットで250ルーブルでした。
日本円に換算すると750円ほどします。
現地の所得水準からすれば相当高いように思うのですが・・。
そんな『高級』な店であるにもかかわらず若者の姿がかなり目立ちます。
またスーパーにも行きましたが、総じて値段が高いように感じました。
ペプシコーラは普通の350ml缶サイズで30ルーブル。
日本で安売りしている場合、5~60円で売っているようなところもあるのでやはり高いような気がします。

謎の『武士道コーヒー』ですが、これも下位グレードで400ルーブル。
高いですね。
消費税は日用品・生活必需品で14%。
それ以外の贅沢品は18%となります。
前述のケンタッキーでの消費税は18%でした。(外食だからかな?)
さすがエネルギー大国だけあって光熱費は激安です。
ほとんどお金がかかりません。

あと、アパート。
モスクワには『国営アパート』というのがあります。
わかりやすく言えば、これはソ連崩壊時に国が国民に対して与えた激安アパートです。
社会主義体制になったときに国が国民から土地や建物を奪い取ったことへの「お詫び」ということになるのでしょうか。
家賃は1LDKの大きさで月に3000ルーブル。
しかも電気や水道が壊れたらその修理費も国が全部を負担してくれるというオイシイ物件です。
他人に譲渡すれば莫大な税金がかかる&激安賃貸権が失効するようです。
ただし、親が死んで子が受け継ぐことはなんら問題がないので、親からの「財産」として受け継がれているのが現状のようです。
もちろん、モスクワ市民の全員がこのようなアパートを所有しているわけではありません。しかし、家賃に関してはピンキリですが、日本より低く抑えられるのは間違いないようです。
ちなみにモスクワ市内の土地はすべて国有地だそうです。
(個人、または企業は「国から借りている」というになります)
ここで、ロシアの街の風景とロシア人の気質について見ていきましょう。



写真を見ていただければお分かりになると思いますが、非常に活気に満ち溢れています。
冗談抜きでロシアのイメージが一気に変わりました。
今回、モスクワ、ヤロスラブリ、サンクトペテルブルクと主要都市を視察したわけですがどの都市に行っても、想像していたような赤レンガのボロい建物などはほとんどありませんでした。
しかもどこに行ってもゴミがほとんどありません。
それどころか街全体のスキのない造りこみ、完成度に圧倒されまくりでした。
建物ひとつひとつの造形が無駄にカッコイイ・・!

街のいたるところで見られる騎士の彫刻や建物に施されたレリーフなど、さすが一時代を築いた大国だけあって今もその威厳は色褪せず現代に残されています。
モダンと伝統の融合においてはさすがとしか言いようがありません。
正直、下手なヨーロッパに行くより断然ロシアのほうがいいと思いました。
また街以外にも、大聖堂や美術館など歴史と直に触れ合う場もたくさんあります。
ロシア、ちょっとナメてました。
おそロシア・・!

そしてロシア人について。
実はこれも私は大きな誤解をしていたようです。
前述しましたとおり、ロシア訪問前の私の中での「ロシア人観」はとんでもないものでした。
粗暴、凶悪、ケンカ最強・・。
日本人が一人で街を歩いていると必ず追いはぎに遭うと思っていましたし、なるべく目をあわさないようにしようと心がけていました。
しかし、実際に触れ合ったロシア人を色々と思い返してみると、真っ先に浮かぶことが・・
実はかなり「親切」だったというです。
これはかなり意外に思う方が多いのではないかと思いますが事実です。
愛想のなさはたしかに散見されましたが、それでも言うほどヒドくはありません。
日本人でも愛想のない人間はたくさんいますし・・本当にそんなレベルです。

薄暗いローカルなレストランに行ったときも白熊みたいな従業員が丁寧にトイレまで案内してくれましたし、スーパーマーケットに行ったときも買ったものを入れる袋がわからずうろたえていたら後ろで待っていたロシア人が自分の代わりに袋を取ってくれたりしました。
また、他の方はおみやげ屋さんで間違った(少ない)つり銭を受け取りそれにまったく気づかず店を出ようとしたらしんですが、直前で呼び止められて足らずのつり銭を渡されたということらしいです。
他にもそういった「意外」な場面に出くわしましたが、そのたびに自分の中でのロシアのイメージが間違っていたと痛感いたしました。

素朴な疑問・・ロシア人は日本人をどのように見ているのか。
実は現地駐在員の方や、ガイドさんのお話を聞いたところ、ロシア人というのは日本人をかなり【リスペクト】しているとのことです。
さすがに嘘ではないかと疑っていたんですが、どうやら本当のようです。
街にあふれる「日本車の多さ」が何よりの証拠です。
あと、全般的にロシア人は日本製のモノに関してはかなりの信頼を置いているとのこと。
ガイドさんの話が本当かどうかはわかりませんが、ロシア製の物と日本製の物があれば、日本製の物を選ぶ人が多いでしょうとのこと。
(家電か自動車かそのあたりはよくわかりませんが・・)
やはり日本(人)のイメージとしては
『ハイテク』
『高性能』
『勤勉』
『マナーが良い』
・・おおむねこんな感じのようです。
コレは素直にうれしいですね。
私はてっきりロシア人というのは日本人を見つけたらカツアゲするのかとばかり思っていました。
ええ、全然違いました。すみません。笑
あと、日本食も密かなブームだそうです。
モスクワやサンクトでは寿司(もどき)のレストランを何件か見ました。
あと、小売店で見たのは日本の調味料です。
日本からの輸入品だと思いますが、日本で売ってる外装のまま売られていました。
どういう料理にどう使うのかは興味がありますね。

さて、この写真。
サンクトペテルブルクで撮った写真なんですが、日本ではまずあり得ない光景なんです。
何がかと言いますと、実はコレ・・・夜10時の写真です。
そうです。
6月下旬といえばロシアでは百夜なんです。
陽が沈むのが夜の11時くらいで3、4時間後の午前3時頃にはすでに空が明るいという怪現象が発生しておりました。笑
基本的にレストランやクラブなど若者が集まる店は朝まで営業しており、大変にぎやかです。
我々も負けじと明け方まで頑張りました(笑)

本旅で特にお世話になった春山さん(中)と井上さん(右)と中坪さん(写真撮影・・)
ありがとうございました!また海外視察ご一緒できればいいですね。

ではでは、お待ちかね。
街行く原動機のコーナー。
まずロシアでの自動車事情について概要を少しお話しておきたいと思います。
2013年現在、ロシアの年間自動車販売台数は約300万台・・をやや超えるあたりです。
ロシアの消費動向は原油・エネルギーの販売価格によってかなり影響を受けやすいと聞きます。
実際に、リーマンショック前には異常なほどの伸びを見せた自動車販売台数ですが、リーマンショック後の2009年には前年度の1/10に転がり落ちたというデータもあり、非常に乱高下が激しい市場でもあります。
自動車メーカーの方いわく、2014年のロシアのマーケット動向はズバリ「わからない」とのことです。
ロシアでの外国車メーカーのシェアは約74%。

ロシアでもっとも有名なローカルブランドといえばアフトワズ社が展開するLADA(ラーダ)です。
このアフトワズのLADAを含め、大小のロシアローカルメーカーが20年以上前には50%以上のシェアを占めていたんですが、現在は20%ほどまでシェアを落としています。
ちなみにこのアフトワズですが、2012年12月にルノー・日産の傘下にはいりました。
外国車のシェアをもっと詳しく書きますと・・
LADAの次にシェアが大きいのが韓国ヒュンダイで約5.6%。
日系の主なメーカーですと、トヨタ約5.1%。日産約5.0%となります。
シェアだけを見ますとバカなマスコミがよく言う韓国車の勢いが云々~というようなことを思われてしまうかもしれませんが、金額ベースで比べれば上級セグメントまで網羅している日系メーカーのほうがダントツで勝っています。
他の外国メーカーで特によく見たのがオペル、フォルクスワーゲン、フォード、ルノー、キア、でしょうか。



他にも日系ではホンダ、マツダ、スバル、意外にもスズキが健闘していたように思います。


日本の中古車はかなり多いです。


高級車では日系のレクサスを筆頭に、ベンツ、BMW、インフィニティとかなりの数が走っていました。

少数派はポルシェやジャガー、アストンマーチン等、多彩なラインナップを目撃。
1台だけですが、ランボルギーニのガヤルドも見ました。
ちなみにどんな車種にかかわらず、ロシアで一番人気のボディカラーはお分かりになりますか?

答えは【黒】です。
理由は『太陽光を吸収して車内が暖かくなるから』だそうです。
ガソリンは1リッターあたり約30ルーブル。
日本円で100円弱となります。

モスクワで見たガソリンスタンド【ウンコオイル】・・・。
さて、ここでロシアの変わった交通ルールをご紹介。
まず、街の車を見て気づいたのが、どの車も昼間なのにライトをつけている点です。
ロシアでは車を走らす際には必ずヘッドライトをつけなければならないそうです。
つけていなと罰金です。
安全のためでしょうか。
手動でつけているのか、イグニッションONで自動的に点灯する仕様になっているのかは不明です。
あと、事故です。
ロシアでは事故を起こした際に警察を呼ぶのですが、なんと警察が現場に到着するまで車やバイク等の【事故車】を動かしてはならない法律があるそうです。
動かすとこれまた罰金。
これが実は渋滞の一因にもなっています。
どんな街中でも警察が来るまでひたすら放置ですから正直、かなり迷惑だと思います。
しかも、警察署の近くで事故を起こした場合はすぐに駆けつけてくれますが、警察署から距離が離れている場合はひたすら待たなければなりません。
下手すると2時間待ちとかもあるようです。
これ、今の季節ならいいんですが、真冬の極寒だとどう対処するんでしょ。
警察来るまでに凍死する可能性もないような気がしますが・・。

続きましてバイクです。
ロシアを訪問する前は「寒いところにバイクの市場なんかあるわけないか・・」と半ば、バイクに関しては【諦めモード】だったんですが、いえいえ!とんでもない!
ロシアにもたくさんのバイクが走っていました。
これもかなり想定外の光景でした。
今回、ロシアのバイク事情に関しては詳しい情報は得られませんでしたので、詳細なデータはございません。
あくまで私の見聞のみでございます。




ビッグスクーター、ネイキッド、モタード(オフロード)、デュアルパーパス、アメリカンクルーザー、そしてスーパースポーツ・・等々かなり多彩な車種が活躍していました。
シティコミューターとしては小型のスクーター(多分125cc前後)も活躍しているようです。
もちろん日本製バイクが圧倒的です。体感9割は日本製でした。(海外勢はBMW、ハーレーダビッドソン、ドゥカティ・・とひととおり走っていました)


日本から中古車として輸入されたであろう「お下がりバイク」もチラホラ見ました。
ロシアにおいてはバイクは「アシ」というより、完全に「趣味」の要素が強いようです。
基本的にはカスタムしたバイクが多かったです。
しかも荒ぶるバイカーが多いようで、サンクトペテルブルクのイタリアンレストランでまったりくつろいでいた時も、目の前にある6車線の国道には爆音マフラーを換装したスーパースポーツがやたらめったら走っていました。

完全に【走り】に振ったバリバリのカスタム車両も見ましたし、街を走るバイクの台数、車種の多さ、バイクに対する考え方などは日本におけるバイク事情とかなり似ているような印象を受けました。

アメリカンクルーザーにおいては、やはりハーレーダビッドソンが多いのですが、日本市場のようにそこまでハーレー一辺倒ではありませんでした。






ヤマハのSTARシリーズ(ロードスター、レイダー)、ホンダ スティード、シャドウ、スズキのイントルーダー、M109、カワサキのバルカン1500などなど、お膝元の日本ではあまり見ることがないメトリッククルーザーがかなり走っていました。
ヤマハのウォーリアに乗っている私としては大変にうれしい光景でございます。
ちなみに純ロシア製のバイクといえば【ウラル】ですが・・・ロシアでは一台も見ませんでした。

最初にも書きましたが、今のロシアは気温がかなり高いです。
日本の気温を5℃引いたくらいの気温です。
バイクで走るにはかなり心地よい気温であることは間違いありません。
ただ、1年をとおして乗れるシーズンはかなり限定されるとは思います。
ロシアにおけるバイク市場の拡大は、新興国のような所得云々という次元での話ではなくもう一歩先の【新規ユーザーの開拓】【既存ユーザーの囲い込み】が課題となってくるのではないでしょうか。
さて、最後に今回訪問させていただいた現地の日系自動車メーカー様のお話で驚愕したことがありましたので、それをお話したいと思います。
現地工場では【X】(仮名)という車種を製造しています。
この【X】は、もちろん日本でも製造しており現役車種であります。
ロシアで製造しているこの【X】はエンジンを含め部品の約3割を現地調達、残りの部品を日本やヨーロッパから輸入して組み立てているという、いわゆるノックダウン生産の自動車です。
日本では200万円で買えるこの【X】(純日本製)ですが、現地ノックダウン生産の【X】はロシアの地ではいくらで販売されていると思いますか?
なんと100万ルーブル・・・日本円で約300万円です。
そう、純日本製ではない【X】ですが、日本で売っている価格より高いのです。
ビックリしました。
とっさに「そんな価格で出して売れるんですか?」と訊いてしまいました。
マネージャーの方は即答で「ハイ。売れます」との答え。
価格競争率は非常に高いとのことです。
これはその車種に限ったことではなく、日系メーカーの車種全般に言えることのなのだそうです。
日系メーカーが作る車種はそれだけ絶大なる信頼を得ているということです。
思い起こせば4年前・・私は日本から遠く離れたドバイの地で体感シェア7割が日本車という光景を目の当たりにしました。
灼熱のアラブ・・自動車の故障は「死」に繋がります。
ロシアもまた同じです。
マイナス30℃の広大な土地で車が故障すれば・・生身の人間は死にます。
死なないにしろ命にかかわります。
極限の地において何に価値を見出すか・・ロシアとアラブ、対極の極地で日本車が支持されているという現実はある意味でもっとも価値のある【名誉】と言っても過言ではありません。
ロシア人さん、これからも日本車を御贔屓に。

さて、ロシア見聞録いかがだったでしょうか。
ほんのちょっとロシアに対するイメージは変わったのではないでしょうか?
ヨーロッパと北米の良いとこ取りという感じで、旧共産圏の薄暗い雰囲気はまるで感じられなかったです。
行く前の印象と行った後での感想のギャップで言えば、歴代行った国の中ではダントツで良かったです。
しかし、我々日本人のロシア観がなぜにこうも悪いのか、色々考えた結果・・・

やっぱり『ロッキー4』の影響なんじゃ・・と思ったのは私だけでしょうか。
物事は噂やイメージだけで判断するのではなく、自分の目で直に確かめることがなにより大切だということを改めて感じた次第です。
機会があれば日本の中古車が幅を利かせているハバロフスクやウラジオストクなどロシア極東地域にも行きたいと思います。
これにて、ロシア見聞録終焉です。
ご清聴ありがとうございました!

モスクワ 赤の広場クレムリンにて。(『クレムリン』とは特定の建物を意味するのではなく『城塞』という意味だそうです。
撮影―㈱マエガワモールド 前川さん Thankyou!)
2013.08.21
夜明けのインディア 後編
いや~・・・
スミマセン(笑)
実は仕事のトラブルでブログどころではなかったというのが言い訳です。
もうこのまま後編が立ち消えになるのではないかというくらいに、それどころではなかったです。
そんなことを言っている間に、実は6月の末から7月にかけてこれまた大阪府工業協会様企画の【ロシア日系企業視察】に行ってきました。
本当に大忙しです。
もちろんインド編の次はロシア編が控えているわけで.... 簡潔ですみませんが、とりあえずインド編最終回です。

さて、インドのバイク事情ですね。 それに絡めて、前編、中編では書けなかったこともまとめて書いていきたいと思います。
中間層が爆発的に増え、自動車の数が増えつつあるといっても、やはりインドの町で見かけるのは車よりバイクの数が圧倒的に多いです。
悪路が多い広大な土地を自転車で移動するのはさすがに距離的、体力的に限界があります。
自動車は年収の何倍もするからとてもじゃないけど手が出ません。
電車はいつ何時、駅に到着するかわかりません。

なので、インド人が最初に目標とするのが【バイク】です。
途上国で『バイク』といえばだいたい100cc前後のタイプをさします。(50ccは日本以外ではまったく見ません。)
これがインドではだいたい7万円くらいします。
現地一般ワーカーの所得から算出しますと、おおまかですが、給料の6か月分に相当します。
おいそれと手が出るものではありませんので、もちろん月賦でバイクを買うわけです。つまりローンです。
バイクを手に入れたら、より給料のいい所へ、より遠くまで足を伸ばすことができます。 豊かになるための第一歩はバイクから始まるということですね。

さて、インドのバイク事情をもう少し視野を広げて見てみましょう。
そもそもインドにはアシ用のバイク以外存在するのか・・と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実際のところどうなんでしょう。
実は、インドにもまだまだ小さいですが、『アシ以上』のバイク市場というものはちゃんと存在します。
例えば、今回訪問させていただきましたホンダ様を例に出してみますと・・
ラインナップとしては110cc、125cc、150cc、250ccという4種類の排気量を生産しています。
メインで製造しているのは110ccと125ccになります。
趣味的要素が濃いラインはというとやはり150cc以上。 【CBR150R】が約18万円、【CBR250R】が約23万円だそうです。
ちなみにCBR250Rの生産台数は年間通しても約1万台ということです。 これはホンダのインド工場での全生産台数の内の0.5%以下という数字です。 市場としてはまだまだ未成熟といえ
ます。
ます。
そしてそのCBR250Rとは少し趣が違いますが同じカテゴリーとして競合するのが、【ロイヤルエンフィールド】です。
さすが、生まれ故郷だけあってインドではそこそこの数を目撃しました。
インドでは(というか、世界共通?)300ccと500ccのラインナップがあります。
インドの街を俳諧している時に、小型二輪とは一味違う歯切れのよいサウンドが聞こえたならばそれはまさにエンフィールドといって間違いないでしょう。
日本では珍車扱いでほとんど見ることはありませんが・・なかなかイイ味出していました。 価格帯はホンダCBR250Rと同価格~それ以上と高めとなります。
さすがにロイヤルエンフィールドともなるとボコボコの状態で乗っている人はほぼ皆無で、小奇麗な装いの小金持ち風なライダーが多いように感じました。
ではさらに「上」の超高額バイクはどうでしょう。

実は本視察でダイキン工業㈱様に訪問するその道中で、ハーレーダビッドソンのロゴがデカデカと書かれた巨大な倉庫らしき建物を発見しました。
「おお!!こんなところにハーレーが・・!(笑)」 ハーレーダビッドソンといえば泣く子も黙る高級バイクの代名詞です。
至ってローテクなV型二気筒のエンジンから放たれる独特の排気音と荒削りなエンジンの鼓動感に魅了されるファンは世界中に存在します。
しかし・・・日本でも100万円以上するようなリッチなバイクがインドで走っているんでしょうか。
私がいる間はインドでハーレーは1度も見ませんでした。
しかし、インドにもハーレーはあるんですね。 例えば日本でもおなじみの【スポーツスター】なんかはすでにインド国内で組み立てされています。
この現地組み立て方式は、完成品を本国アメリカから輸入した場合に比べ、関税を30%~40%低く抑えられるようでして、ハーレー社は今後もインド現地組み立ての車種を増やしていくとのこと。
今後は周辺の途上国などにもインド製(組み立て)ハーレーが輸出されていくのでしょう。
近い将来、インド製ハーレーが日本市場にやってくるかもしれません。(それはそれでなんか違う気がしますが・・)

ちなみにインドにおける大型二輪(750cc以上)の市場はまだまだ未熟で、販売台数も2012年の4月~9月期を見ましたら805台と、人口比率からすればとても小さなものです。
しかし、先にも言いましたとおり成長率がもの凄く、2012年の伸び率は前年比77%という驚異的なものです。
これから先、成長率はうなぎのぼりになるのは言うまでもありません。
この市場拡大に乗り遅れまいと、前述のハーレーしかり、日本のメーカー、ドイツ(BMW)、イタリア(ドカティ)と、次々にインド市場に本腰を入れつつあります。
また、イギリスのトライアンフも活性化するインド市場を取り込もうと人気車種の【ボンネビル】を販売する計画だそうです。
ちなみに日本で売られている【CBR250R】はタイ製で、それに比べるとインド版の価格はタイ製の半額以下です。
これがいわゆる『インド仕様』というもので、二輪や自動車で共通していえることなのです。
例えば、樹脂やゴム系の部品においてはコストダウンを図るために品質を厳しく管理していません。 真冬でも0℃を下回ることがないインドでは対候設計を日本より「ユルめ」に設定して製造しています。
わかりやすく言えば、日本仕様では「-40℃~100℃」という幅広い温度帯に耐えたれるように設計されているパーツを、インド仕様においては「0℃~100℃」で設計されているということです。
こういった「現地にあわせた仕様」が商品単体のあらゆるところにちりばめられ、コストダウンにつながっているのです。
そりゃもちろん、見た目が日本のものとまったく同じ車種であっても・・断然日本製よりかは品質は劣ります。
しかし、途上国の人にとって車の故障は日常茶飯事。
壊れたら自分で直すのが基本です。
ちょっとした故障などあまり気にしないのがインド人です。

2012年の日本国内の自動車販売台数は536万台(軽自動車含む)でした。 一方、二輪の新車販売台数は250cc以下のすべての区分を併せても40万台弱という数字です。
単価においては圧倒的な価格の差があるのにも関わらずです。
この数字を見るだけでも、ここ日本においては単なるアシ用として二輪を買う人などほとんど限定的だといわざるを得ません。
先進国において自動車は価格的に【高嶺の花】ではないですし、安全性、積載性、身体的負担を考えても自動車1台を買ったほうがよほど実用的です。

「バイクが趣味だ」といえる人というのは世界広しといえども実はとても少数派。 先進国の、しかも限定された人といっても過言ではありません。
逆に言えば、それ以外の人はほとんどすべて「バイク=移動用のアシ」という人たちになります。 ここの層をいかに攻めていくかで、市場のパワーバランスが決まるといっても過言ではありません。
やがてその国の人々がアシ用バイクから趣味的バイクに移行したとき、過去の結果がいきてくるでしょう。
「俺は昔からこのメーカーのバイクが好きなんだ」と。
インド人の傾向として、実は車にしろバイクにしろ最新のモデルに飛びつくという例は一般的ではなく、5年・10年と安定して人気がある車種を選ぶ傾向にあるそうです。
ここがインド市場を攻める上で非常に難しいところで、1年や2年の短期間ではなかなか現地のニーズに合っているかどうかという判断がしづらいということです。
『安くて高品質だがブランド力が弱い』と言われる日本のメーカーはこのインド市場の特性をよく理解した上で、安定したブランド力を確立していかなければなりません。
その代わり、一度育った芽は確実に大きくなります。 インド人のように焦らずゆっくりと育てることが重要です。
さて、いかがだったでしょうか?インド視察記。
インドは歴史が古く、その長い歴史のなかで形成され昇華してきた独自の文化・習慣が現代においても根強く残っています。
それが良いことに働くこともあれば、負のほうへ引っ張られていくこともあり、これがインドにおける【諸刃の剣】になっていることは間違いありません。
インドが先進的な国を目指すのであれば、負の部分については一つ一つ変えていかなければなりません。 それらを実行し、変えていくのは他の誰でもないインドに住む人々です。
あらゆる課題をすべて克服した時、インドの夜明けは今より一層輝きを増すことになるでしょう。
以上、イッセイのインド見聞録、これにて終焉です。
ご清聴ありがとうございました。

タージマハルにて。
次回はロシア視察記です。
8月中にアップすることをお約束します(笑)
8月中にアップすることをお約束します(笑)
イッセイ
2013.04.07
夜明けのインディア 中編

皆さんこんにちは。
遅くなりすみませんでした。
なんと!あまりに時間がかかりすぎて急遽予定を変更。
「中編」なる区切りを勝手に作っちゃいました(笑)
だって・・まとめるのヘタクソなんですもの・・
書きたいこと全部書いてたら多分、後編UPできるの8年後くらいになると思います(笑)
実は、花粉症と呼吸困難でもはや死に掛け寸前です。
先週は花粉症がひどすぎて夜寝られずそのまま風邪を引くという醜態を晒しました。
「頭が痛い・・でも、もう少しでブログができる。アップせねば!いや、どーせ、誰も読んでいない。いや、誰か一人でも読んでくれている人がいるのならその人のためにアップせねば。でも頭が痛い。割れそうだ。だいたい、なんでオレはこんなに虚弱なんだ。昔はあんなに腕白だったのに!悔しい・・!」
布団のなかでそんな戯言を念仏のように唱えていると、ふと気がつきました。
もうすぐ、帰国して1ヶ月が経つではないかと・・。
自分のウスノロさ加減に嫌気がさしたところで、あとは各記事を切って張ってつなげて~写真を載せて~の作業だったらできるではないかと思い、なんとかこの中編を完成させることができました。
厚く御礼申し上げます。
・・というわけで、後編は次回に持ち越しということで全3回にてお届けいたします。
今回は【車】を中心にお話を進めていきます。
さあ~イッセイがインドで見てきた車事情はどんなものだったか!
インド視察記 中編~はじまりはじまり~
まず最初に、お金の表記について書いておきたいことがあります。
これから書いていく車やバイクの話をはじめ、お金のことはすべて円に換算してお話を進めていきたいと思います。
日本での物価や給与と比較がしやすく、感覚的にわかりやすいからです。
一応、参考までに2013年現在のレートは1ルピー=約1.75円です。
私は現地でお金を計算するとき、本当におおまかに知りたい場合は単純に、表記の金額に2倍していました(笑)
先に行く前にここで、インド人が一ヶ月に得る賃金のベースを決めておきましょう。
中堅日系企業のキャリア1年目のワーカーの月給が約7,000ルピー=12,250円だそうです。
しかし、有能なベテランエンジニアは月給10万ルピー=175,000円というツワモノもいるようで、給与の平均ベースがなかなか掴みづらいというのも事実(笑)
わかりやすいように私と同じような年齢で架空の人物を設定して決めてみましょう。

● 中堅日系企業勤務、ライン作業従事、キャリア4年目、30歳、月給20,000円(11,500ルピー)。
1ヶ月の給料が2万円。
・・・・どうでしょうか。とてもわかりやすくなったと思います。
これをベースに現地の物価感覚を体感していただければと思います。
物価はこれまた「約」ですが、だいたい日本の1/8くらいだと思っていただければいいでしょう。
高いと感じるか、安いと感じるかはアナタ次第です(笑)

さて、イッセイが見た・聞いた~の話の前に、インドにおける自動車産業の基本情報をここに書いておきます。
インド自動車工業会が発表したデータによりますと、2012年度のインドでの国内新車販売台数(商用車含)は358万7260台だそうです。
一部では「2012年中に400万台の大台を突破する!」と言われていましたが・・少し足らずでしたね。
インド自動車市場は2010年には29%の驚異的な伸びを発揮したのですが、その年にインド中央銀行がインフレ対策で利上げをしローン金利が上昇しまくったのが新車販売の鈍化に影響したと思われます。
あと、先に述べましたガソリン価格の高騰ですね。
国別の新車販売台数ランキングを見ますと
1位 中国
2位 アメリカ
3位 日本
4位 ブラジル
5位 インド
・・ということで、ドイツが陥落し、ついにインドが5位入賞です。
何がスゴイかって、不景気だの~エコだの~人口縮小だの~車離れだの~と、散々言われている日本がなんとまだ3位にいる点です。
普通にビックリしました(笑)

あまり情報が出てこないのですが、インドの中古車市場はどうなのでしょう。
これは大手による中古車販売のインフラが未整備なため、グレーな部分がまだまだ多いようです。
中古車販売も手がける自動車製造メーカーのマヒンドラ&マヒンドラ(M&M)によりますと、中古車の取引形態は、インターネットなどを通じての個人売買が約60%、ローカルの中小企業が約30%、大手が手がける中古車販売シェアは10%未満と、大手による販売体制はまだまだ未発達ということがわかります。
日本の中古車販売会社さんはインドに活路を見出してみてはいかがでしょうか。
さて、インドでの乗用車市場のシェアNo1はどのメーカーだかご存知でしょうか。
トヨタ・・
フォード・・
フォルクスワーゲン・・
それとも地元メーカーのタタでしょうか。
う~ん、違います。

実は【スズキ】です。
これ本当。


地元では【マルチスズキ】というブランド名で浸透していますが、スズキという会社に変わりはありません。
インドにおけるマルチスズキのシェアはなんと40%!
インドに詳しい方なら別に驚くほどのことではないんですが、インドの自動車事情をまったく知らない方ですと「日本の軽四メーカーがインドでトップなんてあり得ない」とか思われるかもしれません。
でも、本当です。
その理由は、本ブログの最後にてお話ししましょう。
この【マルチスズキ】が約40%のシェアを誇り、それに続くのは地元インドの【タタモータース】と韓国【ヒュンダイモーターインディア】で、この2社がだいたい15%ずつのシェアを持っています。
以下、【マヒンドラ&マヒンドラ】(印)約10%、【トヨタ・キルロスカ・モーター】(日)約5%、GM(米)とフォード(米)が各3%、以下、フォルクスワーゲン(独)、ホンダ(日)、ルノー日産・・と続きます。
ここインドにおけるマルチスズキの存在感は圧倒的です。
スズキ率ハンパなし!(笑)

アルト

ワゴンR

スイフト
他、日本ブランドでよく見たのは・・

トヨタ車・・・・エティオス、イノーバ(ともに新興国戦略車)、カムリ(泣く子も黙るトヨタ最強の世界戦略車)

ホンダ車・・・・CITY(新興国向け。昔日本で走ってたあれとはまったく違う)

ミツビシ車・・・・ランサー(新・旧)、アウトランダー
・・と続きます。
日産車は現行のマイクラ(マーチ)を3台ほど見ただけです。
マツダはバスを1台見ました。(これは『SWARAJ MAZDA』という現地との合弁会社。合弁解消後も『MAZDA』の名はなぜか残っているという・・)
高級外車はどうでしょうか。
3年前にインドに行かれた方のお話ですと「当時は小型車しか走っていなかった。高級外車などまったく見なかった」とのことですが、やはり成長著しいインドですから、変化がないわけがありません。
そこそこの数を目撃しました。

ドイツ製高級外車に関しては体感的には【BMW】が多かったような気がします。
それより下に【アウディ】と【メルセデスベンツ】が同じくらいの比率でしょうか。
1台だけですが、デリーの中心部で【ポルシェ】の カイエンも見ました。
我が日本勢の高級外車はどうでしょう。
真っ先に思い浮かぶのが【レクサス】です。
しかし、これがまったく走っていないんですね。
滞在中1台も見ませんでした。。
後で調べましたら、インドでレクサスブランドを展開したのはなんと2013年になってから。
う~ん、そりゃ見るわけがない・・。
しかし、インドにおいても『日本ブランド=高品質』というイメージは揺るぎないもの。
これから先、富裕層を中心にブランドが浸透していけば、街を走るレクサスも格段に増えていくことでしょう。
(もちろんと言ってはなんですが、【インフィニティ】や【アキュラ】もまったく見ませんでした)

ちなみにインドにおける高級車の輸入関税は75%。(800cc以上の二輪車には60%)
近年では、高額な輸入関税を避けるために、なるべく現地で組み立てを行い販売価格を安く抑えたいと考えるメーカーが相次いで現地生産(組み立て)に切り替えているようです。

そしてインドの街でひときわ異彩を放つこのクラシックカーはなんでしょう。
これはヒンドゥスタンモータースの【アンバサダー】です。
実はマルチスズキが席巻する以前はこのアンバサダーこそがインドにおける国民車でした。
(元々はイギリスのモーリスオックスフォードのライセンス生産車)
ヒンドゥスタンモータースの地元、コルカタではまだ多数走っているそうです。
今回訪問したデリーとチェンナイではそれなりの数を見ましたが、それでも10年ほど前に比べると圧倒的に台数は減ってきているようです。
なんと・・・!現役生産車(笑)
このアンバサダーも後半で少しだけ登場します。
あと、2009年に10万ルピー(175,000円)という激安価格で登場し、世界中を驚かせたタタモータースの【ナノ】はインドのいたるところで・・
・・・・嘘です。
実はまったく走っていませんでした(笑)
滞在中見たのは本当に1台だけでした。
発売直後から不具合が頻発したり、工場の稼動がうまくいかず生産が進まなかったりと、話題とは裏腹に販売が思うように軌道に乗らなかったのが原因だといわれています。
しかし、根本はもっと違うところにあるような気がしてなりません。
自動車を所有することが一種のステータスであるインドでは、【ナノ】はあまりにも「下」を見すぎた車だったのではないでしょうか。
実用性重視といえど、プライドの高いインド人には少し受け入れがたいパッケージングだったのは間違いないです。
「そこまで安い車を買うくらいなら・・」という気持ちがあったのだと思います。
現在【ナノ】は装備やバリエーションを増やしながらしぶとく販売されています。
また、周辺のスリランカやネパールにも輸出を始め、新たな販売網を構築中です。
インドでの販売は成功したとはとても言いがたいものです。
しかし、【超低価格車】という自動車のあり方そのものを根本から覆そうとした思想は評価に値するでしょう。

ちなみにインドの「ザ・国民車」ことスズキの【マルチ800】ですが、これが約38万円からのお値段です。
【スイフト】で約50万円から。
もちろん新車での価格です。
メチャクチャ安いですね。
日本ではあり得ない価格です。
「お!おのれ~スズキめ!インドが好きだからってそのようなひいきは許さんぞ~!」
と、お怒りになるのはお門違いです。
なぜなら、安いのには理由があるからです。
これが所謂『インド仕様』というものです。
コストカットの賜物ですね。
では、どういうところにコストカットが施されているのか・・
それは次回、後編でお話しましょう。

さて、交通マナーに関しても少しふれておきましょう。
皆さん、だいたいの予想はつくと思いますが・・・割とメチャクチャです(笑)
信号の遵守意識はまだある方ですが、それでも信号のないところになるとわれ先にと、車・バイクが入り乱れるのはもはや日常の一風景でしかありません。
ダイキン工業㈱様を訪問する際、地方の狭い道をバスで走っていたのですがこのチャーターバスの運転手がこれまたメチャクチャで、対面二車線の道路なのに前を走る車が遅いと判断するや否や何の迷いもなく追い越しを決行しまくるのです。
対向車線(真正面)から大型のバスやトレーラーがこっちに向かって迫ってくる光景は、気絶寸前の地獄絵図です。
車内のあちこちで「危ないぶないぶないぶない!!(汗)」「あああ~!コレぶつかるでぇぁあ~!!(願)」「ちょ~おお!!死ぬ死ぬぅう~!!(涙)」という絶叫がこだまします。
しかも今回、移動に使ったバスはインド【タタ】製のバスだったのですが、サスペンションが明らかに異常でございまして・・。
まるで衝撃を吸収している気配がありません。
まさにリジッドサスです。
デコボコの道に突入した際には車体の傾き加減と底突きの衝撃により、車体がバラバラになるんではないかとハラハラしました。
そんな状況でも平気で横をすり抜けていく車が多数いるわけで。
本当に事故を起こさないのが不思議なくらいです。
移動の2時間半の間、クラクションが鳴りっぱなしだったのは言うまでもありません。

さて、ガソリン事情はどんな感じなのか・・。
実は、インドのガソリン価格は想像以上に高く、1リッター120円(70ルピー)もします。
物価水準を考えると鬼のような価格です。
日本のガソリンよりちょっと安いくらいですよね・・。
我々の感覚からするとガソリン1リッターを買うのに1,000円ほど払っている計算になります。
ルピー安と世界的な原油相場の上昇という日本と同じような状況がガソリン価格上昇の原因となっているようです。
これだけガソリンが高いとなると・・。
ハイ、そのとおり。ガソリンより価格が安い軽油を燃料とする「ディーゼル車」の存在感が大きくなってきているようです。
ローカルメーカー&外資メーカー各社は去年あたりから「これからディーゼル車両の生産に力を入れていく」と軒並み意気込んでいます。
ちなみにインドでの軽油価格はガソリン価格の約半分。
日本ではガソリン価格に対して軽油価格はリッターあたり20円ほどしか安くないことを考えると、日本以上にディーゼル車のメリットは大きいのではないでしょうか。
ディーゼル車の市場を開拓するメリットは十分にあります。
デリーでよく見たのが写真の「INDIAN OIL」というガソリンスタンドでした。

本視察での移動は大半がバスでの移動でした。
実は、乗用車以外の、トラック、バス、タクシーに関しては登録地以外の州に入る際にはTAX(税金)を払わなければならないようです。
言ってしまえば【関所】みたいなものです。
州の境目には料金所があり、お金を払うまでに10分ほど待たされます。
どれほどの金額か詳しくはわかりませんが、入る州によって金額は違うとのこと。
お金を払うと領収書兼チケットが手渡されるので、それを見えるところに提示しておきます。
料金所といってもゲートがあるわけではなく、地元ナンバーの車と混在して通過するのでそのまま通過してもわからないような気がしますが・・。
ちなみにお金を払わないで走っている・・つまり警察に止められた際にチケットを見せることができない場合どうなるか。
車はその場で即【使用禁止】になるそうです。(それって・・帰りは徒歩?)

ではここで、インドにおいてなぜスズキがこれほどまでに幅を利かせられることになったのか!
その理由をお話しましょう。
インドにおけるスズキの偉大さが身に沁みてわかるそんな物語です。
まず、インドの自動車産業のあらすじはどんなものであるか・・!
知っている方も、あんまり知らない方も、全然興味ない方も、あらためておさらいしていきましょう。
インドの自動車産業の道は1970年代後半、インド5代目の首相 インディラ・ガンジー氏の【国民車構想】政策により開拓されました。
(ちなみにこのインディラ氏・・女性です。ちなみに皆さんよく知るマハトマ・ガンジーとは何の血縁もない)
それ以前、1970年代よりはるか昔の1930年代から実はインドではGMとフォードがノックダウン方式にて自動車生産を行っていました。
1940年代にはインドの財閥系メーカーも参入し、自動車国産化も幕を開けました
しかし、社会主義体制が色濃い時代、インドにある自動車メーカーは外資メーカーや国内メーカーを問わずインド国内で自由に自動車の製造・販売を行うことができませんでした。
インド国内にある外資・国内自動車メーカーは、インド政府から出向してくる官僚や役人の指示のもと、ありきたりな乗用車を製造しているに過ぎませんでした。
(GMとフォードは1950年代に撤退。)
1970年代のインドを象徴する乗用車といえば【ヒンドゥスタンモータース】の『アンバサダー』(もちろんネスカフェは全然関係ない)と、プレミアオートモービルスの『パドミニ』です。
この2車種はインド国内で爆発的に売れました。
爆発的に売れたというより、消去法で売れたとでもいいましょうか。
この頃のインド自動車産業は自国産業を保護するという名目で、外資系メーカーの締め出し、完成車の輸入禁止や新規・既存事業のライセンス規制など、非常に閉鎖的な政策をとっていました。
上記2車種が集中的に売れた理由は、インド国内にあった自国6メーカーのうちの乗用車を生産していたのが上記2メーカー(ヒンドゥスタンとプレミアオートモービル)だけだったからです。
そして、売れたのはイイんですが、ほとんどモデルチェンジもせず長期間ロングセールであり続けたため、インド自動車産業そのものが世界の自動車最先端技術から大きく引き離されるという「致命傷」にもなりました。
小型で燃費がよく品質の安定した自動車を作りたい!というインディラ首相の指示のもとインド政府は、当時、高品質な乗用車の輸出でアメリカ政府を半泣きにさせていた日本の自動車メーカー各社に対してインド進出を打診しました。
しかし、バブル景気前夜の80年代前半、日本企業が海外市場として目を向ける先は常に北米が中心でした。
インドのような未開の後進国に進出などという考えは異端も異端。
「イ、インドに進出て・・・そんなアホなメーカーおるわけないやろ」
誰もがそう思ったに違いありません。
しかし、自動車メーカー各社が無視を決め込む中、ただ一社、名乗りを上げる企業がありました。
それがスズキだったのです。
これにはスズキの内部からもかなりの反対意見があったようです。
1982年、インドの腐った自動車産業にスズキが斬りこみを敢行していきます。
とは言っても、社会主義体制がはびこる当時のインドで、スズキが単独で自動車生産をすることは許されませんでした。
インド政府から『提携先』として指定されたのが【マルチ ウドヨグ】という現地自動車メーカーです。
この【マルチ ウドヨグ】という会社、実はインディラ首相の次男、サンジャイ・ガンジー氏によって1977年に設立された自動車メーカーです。
ここにスズキが出資するという形で自動車生産がスタートしました。(ちなみに当時スズキの出資比率は26%)
しかし、事実上の国営企業ということで舵取りは常に政府側。
社長には自動車の「じ」も知らない官僚が就任するわけです。
自動車生産の「プロ」であるスズキ側は相当イライラしたに違いありません。
そんな中でも1984年に発売した【マルチ800】(2代目のスズキアルトをベースに800ccまで排気量をアップ)は低価格・高品質もさることながらインドの道路・交通事情にマッチ、マルチ ウドヨグが持つ大規模な販売網も手伝ってインド小型車市場においては敵なしの寡占状態を誇りました。
その後も、国営企業という傘のもと、マルチウドヨグ(&スズキ)は小型車生産では常にインド市場においてトップを維持してきました。
しかし、1991年、インド政府が経済開放政策に切り替えたことによって『マルチ ウドヨグ帝国』に変化が起こります。
それまで80%以上のシェアを誇っていた小型車市場に外資の自動車メーカーがなだれ込んで来たのです。
インド市場をめぐっての自動車メーカー同士の熾烈な競争が始まりました。
1992年、スズキはマルチウドヨグへの出資比率を50%まで引き上げました。
・・が、相変わらず『国が経営するマルチ ウドヨグ』という枠にハメられたままのスズキはインド政府の干渉によって思うように経営の舵取りができません。
そして、不適格極まる役人が政府の指示により「社長」に決まってしまうという事態を目の当たりにした時、スズキの堪忍袋の緒がついにブチ切れました。
「マルチウドヨグ(インド政府)とスズキの双方が承認した人物でないと社長には抜擢できない」という内容を突きつけ、裁判をおこしました。
この件は結局、国際的な裁判の場まで持ち込まれることになり、インド政府側が折れるということで決着がつきました。
またスズキの戦いはインド政府だけではありませんでした。
社会主義の歴史があるインドでは労働組合が非常に強い力を持っています。
外資系の企業は長年、組合が巻き起こす賃金見直し要求によるストライキなどに悩まされていました。
ある時は暴力に訴え、またある時は政府の役人を使い、組合はあの手この手で企業を恫喝しました。
しかし、スズキは労組による不当な要求は一切受け付けませんでした。
会社が向かうべき方向に逆らう者は一切雇わないと。
インドでのスズキの歴史は、インドにはびこる政治腐敗や労働闘争との戦いでもあったのです。
インド政府に対するスズキの姿勢は、行き先不透明・暗雲立ち込めるインド社会全体にとっても大きな衝撃を与えました。
「これが日本企業の経営理念か」と・・
1999年には社名を【マルチ ウドヨグ】から【マルチスズキ】に変更。
2002年には株式の半数以上を手に入れ、スズキ株式会社(日本)の完全子会社化としました。
・・とまあ、そういう歴史があるわけでして、インドにとってやはりマルチスズキはちょっと特別な存在。
先にも述べましたが、現在、インドの乗用車市場におけるマルチスズキのシェアはおおむね40%前後です。
インドの自動車工業史はスズキと共に構築してきたといってももはや過言ではありません。


そんなスズキの血と汗の重みを理解すれば、なおいっそう街を駆るスズキの車が勇ましく見えてしまうものです。
高級外車を相手に豪快な割り込みを敢行できるのもスズキの歴史が成せる業・・!
まさに小さな巨人。
さて、中編の最後に・・
新興国を中心に現在【超低価格車】というものが存在感を増してきています。
先に登場しましたタタの【ナノ】をキッカケに、新興国をターゲットにしている自動車メーカー各社も急速に意識が変わってきました。
自動車作りは日本のお家芸です。
日本が得意とするのは主に「真ん中」あたりの車です。
つまり「超」がつかない低価格から、「超」がつかない高級まで。
もう少し頑張れば一番下から一番上まですべての層で日本は活躍できます。
東南アジアでは今でも日本車のシェアが8割を超える地域もあります。
ピンチ、ピンチといわれる日本企業ですが、まだまだ有利な立場であることに変わりはありません。
今が踏ん張り時ということですね。
しかし、今から30年先、世界の自動車勢力図は今とは大きく違うものになっていると私は思います。
インドの次は南米でしょうか。
そしてその次はアフリカでしょうか。
そして、世界中の人々が【中間層】に移行した時、その先にはどのような市場が待ち受けているのでしょうか。
私のような凡人には想像もつきません。
もしかしたらそんな凡人の想像を超越して・・・車は全部空を浮いているのかも知れませんね。
次回、後編はインドの二輪事情見聞録を書きます。
例によって気長にまったりとお待ちいただければと思います。
ではでは~
イッセイ
2013.03.16
夜明けのインディア 前編
さて、今回は大阪府工業協会様の企画【インド 工場&市場視察研修】に行ってまいりました。
「インド」って聞くと「カレー」とか「象」とか「ヨガ」とかいろんな言葉を連想するわけですが、
経済全般に関するイメージっていうのはなぜかあまり頭に浮かんできません。
どちらかといえば田園風景が一面に広がっている農業国といったイメージのほうが強いような気がします。
しかし、昨今の中国の反日運動に見るチャイナリスクの露呈、そして12億の人口を抱える巨大市場という観点から、急速に日本企業が進出を加速させている国であります。
いや、日本だけではありません。
いまや世界中の国から注目を浴びているのです。
貧富の格差、カースト制度の名残、民族間でのあらゆる障壁・・インドにはさまざまな問題がありますがそれらを丸呑みにしながらひたすら猛突進しています。
とにかくものすごいパワーを感じました。

初日に南のチェンナイに降り立ってから3日目には飛行機でデリーまで移動。
間間はひたすら悪路の走行。
5時・6時起床は当たり前、車での移動だけでも1日に平均300キロという過酷極まりない視察でしたが、見るものすべてがファンタスティックでエキサイティングで、なによりクレイジーでした。
今回、お邪魔させていただきました日系企業ですが
・㈱ヨロズ 様 (自動車用サスペンション、その他関連部品)
・㈱ミツバ 様 (二輪・四輪用ジェネレーター、ファンモーター)
・ダイキン工業㈱ 様 (空調設備)
・パナソニック㈱ 様 (空調設備、洗濯機、溶接機)
・本田技研工業㈱ 様 (小型二輪車)
以上、5社です。
本ブログでは見学させていただきました個々の企業様についての詳しい報告はしません。
工場内は撮影禁止ですから、どこの設備がどうだったとか説明のしようがありませんし、大々的に公表するような内容ではないデータもあります。
現地ガイドさんや、各企業様で聞かせていただきました現地の習慣や特徴などを総合的に書いていきたいと思います。
企業視察レポートではなく、あくまでイッセイ個人が見た・聞いたの「インド珍道中」というノリで読んでいただければと思います。
「なんじゃ~!ジェ○ロの報告書のほうがよっぽど出来がエエやないか!」といった当たり前のクレームはカンベンしてください(笑)

あ、自動車・バイク関連については当社も大いに関係ありますし、個人的な趣味も絡んでおりますので、そこだけは見た・訊いたの内容も大きく絡めて書きたいと思います(笑)
さて~、イッセイはインドで何を見てきたのか~!
イッセイのインドテキトー見聞録はじまりはじまり~!

インド共和国――
改めておさらいしていきましょう。
人口は12億人と中国に次ぐ世界第2位の大国です。
毎年、爆発的に人口が増加しており、一人っ子政策を布いている中国を抜かして人口世界1位になるのはもはや時間の問題です。

国土は日本の面積の約8倍です。
赤道近くの暑い国というイメージはおおむね間違ってはいませんが、インドの北部に位置するデリーでは冬になると5℃くらいまで気温が下がるという意外な一面もあります。
州をまたぐとまったく違う言葉が話されることもあり「インドはひとつの国にしてさまざまな国が存在する」とまで言われます。
公用語はヒンディー語。・・ですが、ベンガル語やタミル語など、インド全土にわたって数十種類の「公用語」が存在するのも忘れてはなりません。
イギリス植民地時代の名残から英語を話す人も大多数存在します。
街の看板には英語表記がとても多いように感じました。
一時期ITの分野で世界中で幅を利かせたのも、英語を武器に進出していったからですね。

人口に占める各宗教の割合はヒンズー教が約80%、イスラム教が約15%、他、少数派の宗教としてはキリスト教、シーク教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教の信者がいます。
我々日本人は「インド=仏教発祥の地」としてのイメージが強いですが、インドにおける仏教徒はなんと1%しかいません。
これはイスラム教の侵攻により13世紀頃にはインドの仏教はほぼ壊滅状態になったからだといわれてます。(イスラム教徒ってこんなのばっか・・笑)
ちなみに本場インドではほとんど消えてしまった仏教ですが、我が国をはじめインド周辺国では今も仏教の源流は息づいています。
本旅の現地ガイド、シャシーさん(以下、頻繁に登場)いわく「どんな都会や地方に行ってもスゴイ商売をしているのはジャイナ教の人」だそうです。
ジャイナ教。日本ではほとんど聞かない宗教です。
ジャイナ教はあらゆる殺生を禁ずるもので、信者は野菜すらほとんど口にしません。
断食の果てに死ぬことも多々あるようで、そのような究極の精神を築くことで常人には見えないものが見えてくるのだとか。
なんと後で調べてビックリ!インド人口の0.5%に満たないジャイナ教徒がインドの50%の富を有しているというデータがあるそうです。
農耕は畑を耕す際に虫を殺す恐れがあるので、必然的に商業や金融の職に就く人が多いからでしょう。
いまや、金融業がお家芸のユダヤ人を駆逐する勢いでジャイナ教徒は世界に進出しているようです。
ジャイナ教の戒律は【不殺生、真理、盗むな、執着するな、貞節】の5つ。
見えない虫を殺してしまわないように口に布を巻き、日没から夜明けまで食事はしてはいけないそうです。
これは相当厳しいですね。
私もジャイナ教に改宗すれば夜間にラーメンを食べる癖直るでしょうか。

シャシーさんのお話を元にインド12億人のおおまかな貧富内訳を見てみましょう。
貧富の差が少ない日本を例に出して比べるのは非常に難しいので、感覚的な表現になりますがご了承ください。
まず【富裕層】。
政治家とか役人・一流企業の重役とか一流大学出のエリート・・ここの割合がだいたい10%です。
10%といっても1億人超!日本の人口とほぼ同じです(笑)
それなりの家があり車があり、テレビやパソコン、カメラなど趣味性の高い物を買える余裕がある層です。
日本で言うと『職業=国際線パイロット 年収2500万円』みたいな感じでしょうか。
大規模農場経営者なんかもここに分類されるようです。
続いて【中間層】。
ここに分類されるのは約40%です。
今、インドで爆発的に増えているのがこの中間層。
この中間層をさらに細分化すると
【A】=大きい車(コンパクトカー以上)を買える人
【B】=小さい車(アシ用の小型車)を買える人
【C】=アシ用のバイクを買える人
に分けられます。
今回訪問させていただいた企業で言えば、キャリア1年目のワーカーですと【C】くらいに分類されます。
現地人でも優秀な技術者や工場長クラスになれば【A】クラスに成り上がれます。
そして【貧困層】。
シャシーさんは【努力している人】と表現されていました。
ここが約50%で、まだまだインドでは大多数を占める層ということになります。
個人商店経営者、農業・漁業従事者、スキルの低い単純労働に従事している人はここに分類されます。
ボコボコの自転車で通勤している人たちはまだいいほうで、農村部に行くと裸足で歩いている人なども見かけました。
生活必需品を買うのに精一杯な層で、いち早く【中間層のC】にステップアップしようと日々邁進している人達です。
そして、インドの驚異的な経済成長とともにこの所得に大きな変化が起きているということも忘れてはなりません。
貧困層から中間層に移行している人たちが年々増えてきているのです。
その数なんと年間5~6千万人です!
つまり毎年日本人口の半分ほどの人たちが中間層に移行しているということです。
この伸び率は驚異的です。
中国は一党独裁のもと鶴の一声で明日から法律が変わるような危うい国ですから、上から下までマーケットとしてこれほど将来有望な国が他にあるでしょうか。
インドという国が世界中から注目されている所以がここにあります。

では、インドにおける生活基盤のインフラ全般はどんなものなのでしょうか。
水道から電話に至るまで細かく見ていきましょう。
まず【水道】。
インドという国は平均気温の高さからもわかるように、基本的には砂漠の上にある国だと思ってください。
水というものは、人はもちろん国や社会の『要』であるといえます。
しかし、その重要度とは裏腹に水道のインフラは驚くほど未熟です。
まず地方はほぼ井戸水の使用で、水道が通っているのはムンバイやデリーといった大都市のみです。
その大都市ですら十分にインフラが行き届いているとはいえず、首都のデリーですら水道普及率はなんと25%。
それに輪をかけてインフラの基礎がメチャクチャで、末端に届いている水の量が水道局から送り出している量の半分だけというデータがあります。
つまり残りの半分は・・・土中の配管の継ぎ目から漏れているということになります(笑)
ちなみにこの水道水。
当たり前ですが、飲めません。
本視察は3日目からデリーのヒルトンホテルに泊まりましたが、一日の疲れを取るために浴槽に湯をはっていましたら・・
その湯が若干黄色かったです(笑)
【電気】はどうでしょう。
経済を滞りなく発展させていくには、安定した電力供給は必須です。
しかし、水道がそんな状況ですから電力インフラも総じて同レベルです。
実は本視察中にも訪問先全5社のうち実に2社で停電が発生しました。
そういった事情は「前提」なようで、いずれの企業様も電気が落ちた瞬間に社内のジェネレーターが稼動。
数秒の間に自家発電に切り替わるというシステムを作っていらっしゃいました。
しかし、自家発電の電力コストはインフラ電力に比べて2倍~3倍かかるとのことで、稼動のシフトが大変だそうです。
自家発電で毎日稼動させた場合、ラインによっては大赤字が発生する場合もあるようで、「今日はここのライン、明日からはこっちのライン」というような大まかな計画は欠かせません。
㈱ヨロズ様で伺ったお話ですと、24時間内、停電時間は実に12時間!
ちなみに他の自動車製造メーカーなどの大規模工場の場合ですと、政府との契約で優先的に電力を融通してもらえるようです。
(それって・・癒着や賄賂なんじゃねーのか?と思ったのはここだけの話です。笑)
続いて物流に大きく影響する【道路】です。
都会周辺の道路はさすがに落とし穴やたわみもなくそれなりに綺麗なアスファルトが敷かれています。
まっすぐ進む分には大した障害もなくストレスフリーです。
しかし、郊外に出るととたんに『エキサイトバイク』(1984年 任天堂)に出てきそうなたわみ・歪みの激しいコースに豹変します。
横転しそうなほどの勢いで左右に揺られるのはもちろん、小穴に嵌った時なんかは衝撃で尻が10センチほど浮きました。
本視察で一番よく走ったのがデリーからムンバイまで繋がっている国道8号線(通称NH8)です。
これもなかなか変わった道路でして、国道のクセになかなか真っ直ぐに走られないのです。
どういうことかと言いますと、ずーっと進んでいると道の真ん中にバリケードがあり、それを避けるように外側に移動しますとそこからまた真っ直ぐ道が続いているという感じです。
ではその避けたバリケードの向こう側には何が続いているのかといえば、舗装中の道路のような原っぱのような・・道なき道が続いています。

↑こんな感じで対向車線との間にはわけのわからないスペースが不等間隔で展開されております。
そのまま何キロか進んでいるとバリケードがあった元のレーンに戻ることもあれば、さらに外側の別の道に進むこともありなんだかよくわかりませんでした。
そして道路には車やバイク以外にもさまざまな障害があります。

トラクター。

行商や物乞い。

そして家畜。
家畜にはビックリさせられます。
主に牛なんですが、本当にどこにでも現れます。
例えば「こんな街中には現れんだろう」とボケーっと窓の外を眺めていましたら・・
コレモンです。

餌を探すガリ痩せのマッドドッグ。
話が少しそれますが、ヒンズー教徒は牛を食べないのは皆さんご存知だと思います。
なぜ食べないのでしょうか。
シャシーさんのお話を聞いてなるほどと思いました。
まだまだ自動車など文明の力が存在しない遠い昔、人(インド人)は牛とともに生活をしていました。
畑を耕すのも牛の力を借りればいとも簡単にこなせますし、乳を搾れば牛乳が飲めます。
また、牛の糞は草を混ぜて乾かせば石鹸として使うこともできました。
牛は人々の生活になくてはならない存在。
つまり家族同然だったということです。
なので、先ほどの写真のように道路の真ん中に牛が紛れ込んでも決して無理やり退かそうとはしません。
せいぜいクラクションを鳴らすくらいです。

しかし、そこまで『お牛さま』を丁寧に扱っているのかといえば、特にそんな雰囲気もありませんでした。
パナソニック㈱様に訪問する道中、民家の横で野鳥に啄ばまれる牛の遺骸をみました。
周りの人たちは眉一つ動かさず、今日一日の生活を営んでいます。
よく言えば「放任」、悪く言えば「放置」といった感じでしょうか。
いや、あまりにインド人の生活になじみすぎて、彼らにとっては空気と同じような存在なのかもしれませんね。
そして【電話】。
実はインドの電話事情も日本と同じで、固定電話よりケータイ電話の契約数の方が多いのです。
少し日本の場合と違うのは、固定電話が定着する前にケータイ電話の普及スピードのほうが早かったという点です。
なので、インドにおける個人のケータイ電話の契約数は実に8割を誇る反面、固定電話の契約数は1割ほどとかなりの少数です。
ITの発展が怒涛の勢いで伸びまくった結果、電波系のインフラだけはあっという間に広がったということでしょうか。
しかし・・・我々日本人からすると、水道も電気もままならないインフラ状況で、モバイル端末をイジっている現実は違和感を感じざるを得ません。
先進国が歩んできた社会インフラの進化過程を思いっきり掻い摘んでいるような気がしてなりません。
『ドラゴンボール』全42巻をいきなり31巻から読むような感じですかね・・。


デリー郊外にあったデッカイ広告。私も愛用している台湾ブランド『HTC』ケータイです。

さて、続いては【インド人とビジネス全般】についてお話をしていきましょう。
まず、インド人は【時間にルーズ】というイメージです。
インド人の時間感覚を説明する時に「今から行くと行ったら3日後に家を出て、それから3日かけてやってくる」といった表現の仕方がありますが、実際はどうなんでしょうか。
現地の企業様にお話を聞いたところ、実際仕事においても納期はかなりいい加減な部分があるとおっしゃってました。
1日、2日遅れるのはザラだそうで、ひどい時には1週間。
死ぬほどひどい時には1ヶ月待ちなんてのもあるようです。
最初は「なんで納期どおりに仕上げてこないんだ!」と怒っていたそうです。
納期遅延の理由は様々で『渋滞で車が立ち往生している』『車が故障して動かなくなった』
『事故を起こしたのでしばらくそっちには行けない』『実はまだ会社にいる』等々・・小学生の言い訳みたいなものです。
インド国民全体がこのような感覚ゆえ、世界一時間にうるさい日本人ですら「こらあかんわ・・」という感覚に変わってくるそうです。
だからインドにある大多数の工場は日系か否かに関わらず、部品納入が遅れるのを前提で生産計画を立てています。
部品在庫の状況は企業様によって違うようで1週間分~1ヶ月分とマチマチでした。

あと、【カースト制度】の影響はどうなのか。
皆さん気になるところだと思います。
カースト制度というのは4階層に区分された職業身分の制度です。(カーストの「外」を含めると5階層になりますが・・)
現在、法律上ではカースト制度の存在は事実上、消滅しました。
しかし、3000年以上の歴史を築いてきたカースト制度の影響力が易々と消えるはずもなく、現在のインド社会全般においてもその根は深く残っています。
カーストの影響が今も色濃く残るのは『結婚』だそうです。
こればかりは『家』と『家』の繋がりですから当人同士がよければそれで良しというわけにはいかず、仕方がないことかもしれません。

では、実際の仕事場においてはどうなのか。
今回訪問させていただいた日系企業様ではそのようなカースト間の障壁はほとんどないとのことです。
実はインド人同士では名前を見ればなんとなく【出】がわかるようでして、
少なからずそういったコミュニティが形成されることもあるようです。
少なくとも実務においては全く問題なしとおっしゃっていました。
カーストと5Sにまつわるエピソードがあります。
「朝会社に来たらみんなで床を掃除をしよう」と日本人の責任者の方がゴミを拾いながら床を拭いたそうです。
するとインド人の従業員が「偉い人がそんなことはやめてください!それは下層カーストのする仕事です!」
と反発したようです。
しかし、掃除も契約に含まれていると説得した他、5Sの重要性や日本人的感覚を説いた結果、
今ではインド人従業員みんなで床掃除を始めるようになったということです。
インドの街はどこを歩いても塵芥と砂埃のオンパレードです。
逆に日系企業の工場はどこもピカピカです。
今までにそういう「綺麗な環境」で働いたことがなかったインド人には、
掃除をして床をピカピカにするという行為は逆に新鮮だったのかもしれません。
日系企業の信念と努力がやがてインドの街を綺麗にするといっても過言ではないと私は思いました。
あと、意外にもインドには派遣会社もあるそうです。
スキルの高いエンジニアですと売り手市場で職を探すことが出来ますが、一般的なワーカーレベルだと完全な買い手市場です。
例えば、職場環境や賃金待遇に不満がある場合でも、上層部に掛け合ったところで「君の替わりなどいくらでもいる」と言った感じでクビを切られることも少なくありません。
だからワーカーは多少の不満があっても耐え忍んで日々の仕事に勤しみます。
一度仕事を辞めてしまうと以前と同じような待遇や環境で仕事が出来るとは限らないからです。
しかし、我慢も限界に達すると、日本でも大々的に報じられましたマルチスズキのような大きな労働闘争に発展することもあります。
質の良い労働力をいかに安く確保していくか、今後も永遠に続いていくであろう企業の最重要課題です。
さて、まだまだ長くなりそうですね。
前編はここで終わりです。

次回、後編はインドの交通事情と自動車・バイク全般のお話をメインに進めていきましょう。
イッセイが見た・聞いたの話が主体となりますが、寝る間も惜しんでこの目に焼き付けてきたインドの光景です。
バス、トラック、リキシャ、乗用車、牛、バイク、犬、人、死体・・・
インドの「道」には日本では絶対にありえないようなさまざまなモノが存在しました。
インドにおける車・バイクの将来性や、現状考察等々色々と書きたいと思います。
また、今回ご訪問させていただきましたホンダ技研工業㈱インディアの方にもたくさんお話を聞かせていただき、またこちらからは色々と質問や要望をお願いさせていただきましたので、そのことについてもお話したいと思います。
それでは今日はこのあたりで!
ナマステ~!(ちょっ・・それあいさつ)
イッセイ
