会長&スタッフブログ
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2020.04.12
BASSの休日
ここ一か月ほどエンジンを掛けていない993を車庫から引っ張り出して、ちょこっと走らせようと思っていたら、
あいにく今日は朝から雨で、しかも風があって寒い。
わざわざ傘をさして、寒い中を車庫に行くのも面倒です。 が、今日行かないとまた来週、ということになってしまいます。
気になるのがバッテリー上がり。 車庫に行ってすぐに、恐る恐るセルを回すと、何のストレスも無く瞬時にエンジンは始動し、いつもと変わらぬ重低音でアイドリング開始です。
良かった、ケーブルを繋がなくても。。。
数分の暖機後、雨足が強くなるのもお構いなしで、昼飯時をちょっと過ぎてはいましたが20Kmほど流してBASSに直行しました。
15分ほどでBASSに到着。 お出迎え、名物の桜も、さすがにこの雨風で半分以上葉桜になっています。
もう今年の桜の季節も終わりを迎えたようです。
BASSご自慢の桜も今日の雨、風で、いよいよ終わり。
2020.04.07
昨日より今日
ここ3日間、ここを通るたびに車を停めて、満開の桜の並木道で写真を撮っています。
土曜日、日曜日よりも昨日、昨日よりも今日。 桜の満開度がアップしてきています。 さてさて、この週末まで持つでしょうか?
例年なら、人や車が写真に入り込むのを避けようとすると、しばらく待っていなければならないのですが、今年は人出も車の往来もかなり少ないので、
待ち時間が少なくて済みます。 嬉しいのやら、悲しいのやら。
今日は市内まで出かけましたので、そのついでに2、3枚。 今日の車はBbです。
2020.04.06
御津の牡蠣、頂きましたよ。
今朝当社に、先週、割ピンの注文を頂いたお客さんが引き取りに来られました。
御津町で牡蠣の養殖などをされている、当社専務の知人です。
何でも、海から上げた牡蠣の殻に付いているフジツボなどの要らないものを取り除くのに、割ピンを利用しているとの事。
100本ほどの割ピンの頭にワイヤーを通し、直径20Cmほどの輪を作ってそれをグラインダーの回転軸に取り付け、回転させながら、熟練した作業者が牡蠣の殻を綺麗に仕上げるらしいです。
海に関わる仕事ですから、耐塩水対応で、割ピンもステン製のものを使用するらしいのですが、何とも意外な使われ方をするのですね。
ちなみに割ピンのサイズは6×50がベストなようです。
本来の使用目的とは異なる割ピンの使用方法はいくつか知っているのですが、これは私は知りませんでしたね。 そりゃー、いろいろなところでお使い頂ければ、メーカーとしては嬉しいことです。
ただ、中には、そんな使い方は止めてくださいよ! 危ないですよ、というような使用例も、たまにはあるのですが。。。
それで、そのお客さん、私と雑談していると、牡蠣は要りますか? 殻つきですけど。 要らないというわけがありませんよ。
発泡材製のトロ箱のフタを開けて見ると、中には獲れたての牡蠣がいっぱい。30個ほどもあって、社員さんにおすそ分けしました。
兵庫の牡蠣も今や名産品。 もう牡蠣の時期も終わりだと思いますが、シーズン終わりの牡蠣の食べ収め、ということで、有難く頂きましょう。
カキフライか、焼き牡蠣でしょうなー。 ビールでも日本酒でも、どっちゃでもえーですな。
2020.04.05
市川堰堤の桜並木
昨日、今日と、そろそろ満開を迎えるであろう市川河川沿いの桜並木を、朝の早い時刻に見てきました。
桜並木を見ると言っても、ただ新小川橋西詰めの堰堤を車で2~3往復するだけですが。
例年なら、恐らく昨日、今日と大勢の見物客が繰り出し、桜の木々の間に提灯が下げられるのですが、さすがに今年は無し。 人影もめっきり少ないです。
今日は天気は概ね良かったのですが、風が少々冷たくて、さて、週明けはいつまで桜は持つのでしょうか。
毎年、堰堤の南端あたりにピンクラを停めて記念写真を撮っているのですが、今年は944です。
2020.04.01
鎮魂の碑の除幕式
先日お伝えした鎮魂の碑の除幕式が、昨日3月31日の夕刻午後4時に行われました。
集まった人は、鶉野飛行場碑苑保存会のメンバー、事故当時の状況を語る人、北条鉄道の社長、事故の列車に乗っていた方、そしてご祈祷をするお坊さんなど20名でした。
場所は網引駅西方約300mの北側線路の築堤下です。

どんよりと曇って、今にも雨が来そうな天気の中、除幕式が始まる3,40分前から関係者が集まって来て、小さな碑の除幕式がしめやかに行われました。
ちょうど午後4時56分に網引に到着する上り列車が、田原側からやって来て、万願寺川橋梁を渡り切った辺りから鎮魂のタイフォンを鳴らしながら事故現場をゆっくりと速度を落として通過しました。
事故の起こった時刻に合わせた演出でした。
プワーーーーーーーーン。。。カタン、カタン、カタン、カタン。。。 事故の列車に乗り合わせていたというYさんは今93歳。
75年前の事故を、どんな想いで振り返っていたのでしょうか。 碑の関係者も、もう80歳前後の年配の方々ばかりですから、事故を少しでも風化させないためにも、碑の存続を見守る次代の人に継がねばなりません。

慰霊碑の横をタイフォンを鳴らしながら通過する上り列車
